Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.join.ad.jp!aoba!akiu!wnoc-snd-ss2!wnoc-sfc-news!wnoc-kyo-news!kuis-news!s.u-tokyo!is.s.u-tokyo!mech.t.u-tokyo.ac.jp!t-server!news.nc.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.education Subject: Re: Quality of a university (Re: [pseudo]) Date: 29 Jul 1995 07:26:00 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 78 Distribution: fj Message-ID: References: <3u7n2q$vm@tmitns.tmit.ac.jp> NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: kikuchi@phys.sci.osaka-u.ac.jp's message of 28 Jul 95 21:12:06 >>>>> On 28 Jul 95 21:12:06, kikuchi@phys.sci.osaka-u.ac.jp(M.Kikuchi) said: > 菊池@阪大です > ******牧野@東大駒場さん******* >> どうでもいいですが中を読んだうえで(あるいはせめて表紙と帯くらいは見た >> 上で)おっしゃっているのでしょうか?読者に科学書と哲学書の区別がついた >> としても「この哲学者は科学もわかる素晴らしい人だ」と思うかもしれません。 >> 「哲学書」というラベルがあるからといって読者が「ワンクッション置いて読 >> む」ことを期待するのは、やはり「専門家」の態度だと思いますよ。 >> >> 牧野@東大駒場 > なるほど、私の主張をそのまま返されたようですね。手ごわい:-)。しかも、「どうでもいい」とまで、突き放されては、謝るしかないか。 > ごめんなさい。ニューエイジ系はある程度読んでいますが、中沢新一 > の当該本は読んでいません(中沢氏の対談とかはよく読んでますけどね)。 あ、いやいや、あやまられるようなことではないと思います。 > これは駒場に中沢氏を採用するかどうかが問題になった時、槍玉に挙げられ > た本ですね。杉本大一郎先生が、フラクタルの概念を全然理解していない、と > 言って怒られたのがこの本ではなかったかと記憶しますが。 教授会の内容を公開するのはなんでも法律で禁じられているそうなので (本当でしょうか)杉本さんがどういったか本人からは聞いていません が(なんだか笹部さんみたいなもののいいかただ、、、)西部さんあた りの書いたものによるとそうなってますね。 > 結局、「専門家の立場ではなく、非専門家の立場で」という私の主張 > には賛成していただいていと思ってよいのですね(上の書き込みからは、 > そう読めますが、それでよろしいですか)。 > その上でなお、哲学書のほうが困る、とおっしゃるなら、私としては > これ以上反論するつもりはありません。そういう捉え方もあるのだとい > うことを頭にいれておきたいと思います。 はい、そういうこともあるかもしれないなと思っていただければ結構で す。まあ、もうすこし書くと、僕のいいたかったことは、菊池さんのよ うな主張はけっこう困難を抱えるものだということです。つまり、「非 専門家の立場で」ということだと、理学書、哲学書の区別どころではな く、SF小説、コミック、アニメというところまで問題になりかねない (読む人が区別しているかどうかは結構怪しい)と思うのですが、どん なものでしょうか。 #ちなみに僕はPKDよりも神林長平のほうが好きです。 > 私は、あくまでも、科学を学ぼうとして非科学を学んでしまう読者の > ことを心配しています。千代島氏の本については、とにかくその立場で > 批判しました。これが、現在の反科学的な風潮を助長すると思うからで > す。 すみません、ここで「科学を学ぼうとして非科学を学んでしまう読者」 と「現在の反科学的な風潮」はどういう関係なのかちょっと良くわから ないのですが、、、 > で、疑似科学書についての私の意見には直接の返事をいただいてない > のですが、とどのつまり、どう思われたのでしょうか。 a)疑似科学と科学を区別できない人は、「あっちは間違っているんだよ」 とかいっても「学会は権威主義的である」とか思うだけであろう。 b)そうすると、科学と疑似科学がどう区別されるかというのを知らしめ るべきということになるかも知れないが、この、「どう区別されるか」 をどうやって「非専門家」が理解できるかというと、例えば「相対性理 論は間違っている」がどう間違っているかは、もちろん相対性理論がど ういうものか理解できなければわからないであろう。(非科学と科学が その理論の内容ではなく方法によって区別できるという主張については、 しばらく前に議論があったところなのでここでは繰り返さないことにし ます) c)「非専門家」に(例えば)相対性理論がどういうものかをわかっても らおうということであれば、それはもちろん大変結構なことで、おおい に進めるべきことと考えられる。 というようなところでしょうか。 牧野@東大駒場