Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!etl.go.jp!trc.rwcp!rwc-tyo!news.iij.ad.jp!news.sun.co.jp!sunj-gate.Japan.Sun.COM!news2me.EBay.Sun.COM!venus.sun.com!cs.utexas.edu!news.sprintlink.net!news.gdbnet.ad.jp!sinetnews!newssinet!news.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.soc.culture Subject: Re: [PSEUDO] pseudosicence book Followup-To: fj.soc.culture Date: 18 Jun 1995 09:50:44 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 58 Message-ID: References: NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp's message of 17 Jun 1995 01:31:18 GMT 牧野@補足です。 >>>>> On 17 Jun 1995 01:31:18 GMT, makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) said: >> In article >> makino@tache.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) writes: >>> 仮に多くの哲学者が「自分は科学についてわかっていない」と思ってい >>> るとすれば、「わかっている」といっている人を信用するしかないわけ >>> で許容するとかしないとかの問題ではないのではないでしょうか。「私 >>> は哲学がわかっている」といっている科学者がちゃんとわかっているか >>> どうかってわかります? >> 複数の哲学者にその人の「業績」なるものを見せて、「この人の主張は哲学的 >> にマトモか」と問い合わせます。その結果、全員が「マトモでない」と答えた >> ら、マトモでないんだなと判断します。それが普通の態度ではありませんか。 > えっと、例えば鴨さんがその人を個人的に良く知っていて、科学的な業 > 績はちゃんとしたものだということもわかっているとしましょう。で、 > 意見を聞いた哲学者のほうは例えば著作とか論文を読んでもなんだかわ > からないとしましょう。それでも「マトモでない」という答が来たらそ > の判断を信用するとおっしゃっておられるのでしょうか。 > 僕なんかは「まあ哲学の理解と称するものは専門の哲学者からみれば問 > 題があるかもしれないけど、科学的な仕事はちゃんとしてるのだからそ > れでいい」とか考えそうな気がします。 上の書き方では僕のいいたかったことが何だったか明確でないような気 がするのでちょっと補足します。もともと鴨さんのおっしゃっておられ たことは、 >>>>> On Tue, 13 Jun 1995 02:52:07 GMT, wd@ics.nara-wu.ac.jp (Hiroyasu Kamo) said: > 「科学について何もわかってないのにわかったような気になっている哲学者」 > というと、ヴィトゲンシュタインがすぐに連想されます。その影響で、「科学 > について何もわかってないのにわかったような気になっている哲学者」を許容 > する雰囲気が哲学業界(?)に存在していても、不思議ではないような気がしま > すが、本当のところはどうなんでしょ。 ということだったわけです。そういう雰囲気があるのは良くないという のが鴨さんのお考えであるとすると、それに従えば「哲学について何も わかってないのにわかったような気になっている科学者」というのは許 容できないものであるということになるような気がします。しかも、鴨 さんは「何もわかっていないかどうか」は数人の哲学者のいったことを そのまま信じるとおっしゃっておられます。 そうすると、哲学者がある(哲学をわかっていると自称する)科学者の ことを「哲学的にマトモではない」といったらその科学者は科学業界で 許容されるべきではないということになってしまいます。本当にそのよ うな判断をお下しになられるかどうかということがおうかがいしたかっ たのです。 もちろん、哲学というのは「諸学の学」であるからして哲学者はすべて の自然科学を理解しているべきであるが、自然科学者はその専門分野で 業績をあげられさえすればそれ以外の分野について無知であろうが誤解 をまきちらそうが問題ではないという考え方もあり得ます。でもこれは もう「現代では哲学は不可能である」というようなものですよね。 牧野@東大駒場