Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.life.religion Subject: Re: $B%+%k%H$NDj5A(B_____The Identify OfCULT Date: 19 Jun 1995 06:08:16 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 89 Message-ID: References: <4226@aether.hil.ntt.JP> <4227@aether.hil.ntt.JP> <4238@aether.hil.ntt.JP> NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp's message of 19 Jun 1995 03:43:37 GMT >>>>> On 19 Jun 1995 03:43:37 GMT, oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp (Masaki OSHIKAWA) said: > その”信仰”と 今までにわかったことはとりあえず区別できますよね。 > 例えば、 > ”進化は全て突然変異と自然選択で説明できる” > というのは”信仰” > ”進化の(ごく)一部は、、、、” > というのは ある程度わかったこと これは異論があるひともいっぱいいるでしょうが、標準的な立場は押川 さんのいい方では「信仰」のほうに近いもの、つまり「進化は全て突然 変異と自然選択で説明できるはずである」というものだと思います。 とりあえずはそう思ってないと研究できないと思います。押川さんは自 分の研究テーマが科学によっては解明できないと思って研究してますか? ただし、科学では、「信仰」が絶対的なものではない、つまり、「進化 は全て突然変異と自然選択で説明できるはずであるととりあえずは思っ ておくんだけど、まあどうしてもうまくいかなかったりもっと都合のい い説が出てきたら宗派がえしてもいいや」みたいなふうに考えていると は思います。 で、宗教では一般にそうではないかどうかというのは僕には良くわかり ません。キリスト教なんかでは教義だって歴史とともに変化していくわ けだから。 > ついでに実はよくわかっていないこと > もわかったつもりになってしまうというのもよくあることだと思うので > すが、いかがでしょうか。 > それは科学に限りませんが、”つもり”とそうでないもの(の境界は > あいまいではありますが)は一応区別できます。 「区別できるはずである」という信仰告白のような気もしますが、それ はさておき「区別できる」というのと「現実に区別されている」という のは別のことですよね。 > いま話題のコンノケンイチのような人こそ、「素直な観察者」と呼ぶに > ふさわしい人だと思います。世間で信じられている理論がどんなもので > あろうと、自分は自分の目で見たことを信じるというのがあーゆー人の > 主張でしょうから。 > コンノ氏に関して言えば、見てもないことを信じていると思いますが。 あ、いや、もちろんそうで、彼は見てもいないことを見たと信じたわけ ですよね。でも、「見た」と思った以上それを信じるというのは「素直」 な態度ではないでしょうか? コンノ氏が「見た」と信じたことを我々が「そんなのを見たはずがない」 といえるのは、我々は彼が見たようなことが起きるはずがないと「知っ て」いるからで、知らなければそーゆーふうに「見える」のかもしれま せんよ。 もちろん僕はコンノ氏が正しいとかそういう馬鹿なことをいいたいわけ じゃなくって、科学者というのは「素直な観察」をしているわけじゃな いっていうごく常識的な主張をしているだけです。 > それに科学の中にだって、後で正しいことになった説の主張者がはじめ > は攻撃された例なんてのはいっぱいありますよね。(例えば水俣病とか > で)で、後で正しいことになった説についてはそういうことがあったと > わかるけど、消えてしまった説がなかったかどうかはわからないので、 > 科学には間違いを認める謙虚さがあるというのはあまり根拠のある主張 > ではありません。 > 少なくとも間違いを認める謙虚さがなければ、はじめは攻撃された説が > 後で正しいことになることはあり得ないのではないですか。 そうですね。というわけで科学は謙虚であることもあるしそうでないこ ともあると、そういうことですね。いつでも間違いを認めるということ が原理的に保証されているわけじゃないですよね。 > 本当は正しいのに消えてしまった説があるかどうかは、図書室に言って > 昔の雑誌を探せば(原理的には)わかるのではないでしょうか。 本当は正しいのに消えてしまった説は、今見ても間違っているという風 にみえるのではないかと思います。 > もちろん”科学者”の社会にもインチキはあったでしょう。(人間の > 社会ですから、、) しかし、インチキはそのうち淘汰されるものと > 思います。 宗教のなかでもインチキはそのうち淘汰されるかもしれません。 #科学は宗教とは違った特別なものということにすると、「科学をする #のは人間だけで、従って人間は特別」ってだれかさんがいい出しそう #だな。 牧野@東大駒場