Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!csdnews.sm.sony!atg2gw!sonygw2!news.iij.ad.jp!hskiij-news!cet.hsk!hskgw.hitachi-sk.co.jp!wnoc-sfc-news!venus.sun.com!cs.utexas.edu!swrinde!howland.reston.ans.net!news.sprintlink.net!news.gdbnet.ad.jp!sinetnews!newssinet!news.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.life.religion,fj.sci.misc Subject: Re: $B%+%k%H$NDj5A(B_____The Identify OfCULT Date: 19 Jun 1995 13:22:39 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 121 Message-ID: References: <4226@aether.hil.ntt.JP> <4227@aether.hil.ntt.JP> <4238@aether.hil.ntt.JP> NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp's message of 19 Jun 1995 06:52:14 GMT Xref: coconuts.jaist fj.life.religion:2847 fj.sci.misc:1191 >>>>> On 19 Jun 1995 06:52:14 GMT, oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp (Masaki OSHIKAWA) said: > 押川さんは自 > 分の研究テーマが科学によっては解明できないと思って研究してますか? > 今の所は数学といえば数学をやっている(実験と直接関係ない)ので、 > 何ともいえませんが、一般論としてはどうかな。 > ”解明できる”の定義にもよりますが。少なくとも科学的手法より > 有効なものは思い付きません。 これはそのとおりだと思います。 > ただし、科学では、「信仰」が絶対的なものではない、つまり、「進化 > は全て突然変異と自然選択で説明できるはずであるととりあえずは思っ > ておくんだけど、まあどうしてもうまくいかなかったりもっと都合のい > い説が出てきたら宗派がえしてもいいや」みたいなふうに考えていると > は思います。 > それでいいんじゃないのかな。 > 何か問題ありますか? いえ、何の問題もないでしょう。 > で、宗教では一般にそうではないかどうかというのは僕には良くわかり > ません。キリスト教なんかでは教義だって歴史とともに変化していくわ > けだから。 > 科学かどうかと言うのは、簡単に言えば > falsifiable predictionを出して 実験で検証して、 > 実験と合うものを残していく > ということだと思います。 > この点で教義とは大きく異なると思います。 実験と合うように理論を修正するっていうのもありますが、、、、、、 科学哲学の業界では上の押川さんの主張は、いわゆる「素朴な反証主義」 といわれるもので、ほとんど歴史的検証に耐えないものとされているよ うです。もしも「科学哲学」というのがまあ全く無意味ではない哲学の 分野であるということを認めるとすれば、押川さんの意見というのは 「科学哲学に関してなにもわかっていないのにわかったような口をきく 科学者の意見」ということになって、別スレッドの議論での鴨さんにい わせれば「研究者としてマトモとは思えない」となってしまうかもしれ ませんね。(念のためにいっておきますが、僕はもちろん押川さんはマ トモな研究者であると思います。)まあ、別に「業績と主張」している わけじゃないからいいのかな。ちなみに鴨さんの主張は以下のようなも のでした >>>>> On Thu, 15 Jun 1995 07:43:49 GMT, wd@ics.nara-wu.ac.jp (Hiroyasu Kamo) said: > 複数の哲学者にその人の「業績」なるものを見せて、「この人の主張は哲学的 > にマトモか」と問い合わせます。その結果、全員が「マトモでない」と答えた > ら、マトモでないんだなと判断します。それが普通の態度ではありませんか。 たぶんこういうわけで僕は鴨さんの主張に納得できないものを感じたのですね。 > あ、いや、もちろんそうで、彼は見てもいないことを見たと信じたわけ > ですよね。でも、「見た」と思った以上それを信じるというのは「素直」 > な態度ではないでしょうか? > もちろん僕はコンノ氏が正しいとかそういう馬鹿なことをいいたいわけ > じゃなくって、科学者というのは「素直な観察」をしているわけじゃな > いっていうごく常識的な主張をしているだけです。 > ”素直”の定義が問題ですが、日常生活で養われた直観のみに素直と言うなら > それは科学的態度ではありませんね。 もちろんおっしゃる通りです。「直観に素直な観察」というのは必ずし も科学的態度ではないということですね。これは別に押川さんと私とで 意見に食い違いがあるわけではないと思います(fujitaさんとはどうか わからない) >> 少なくとも間違いを認める謙虚さがなければ、はじめは攻撃された説が >> 後で正しいことになることはあり得ないのではないですか。 > そうですね。というわけで科学は謙虚であることもあるしそうでないこ > ともあると、そういうことですね。いつでも間違いを認めるということ > が原理的に保証されているわけじゃないですよね。 > ”科学が謙虚”というのは意味が通らないのでは。 これは元記事を書いたかたにいっていただくとして、 > 科学者は謙虚であることもあるし、そうでないこともあります。 > いつでも間違いを認めることが原理的に保証されている人間や人間の > 集団は存在しないんじゃないでしょうか。 もちろんそうです。科学者とか科学者の集団というのも、別に他の人間 や人間の集団と違わないということですね。 > しかし、間違いは認めていくのが科学的方法だと思います。 「間違いだと気がつけば間違いを認める」というくらいのことは宗教を 信じている人でも普通すると思うのですが、いかがでしょう。なかなか 間違いと気づいていただけないのが問題でしょうけど。 >> 本当は正しいのに消えてしまった説があるかどうかは、図書室に言って >> 昔の雑誌を探せば(原理的には)わかるのではないでしょうか。 > 本当は正しいのに消えてしまった説は、今見ても間違っているという風 > にみえるのではないかと思います。 > 何かfalsifiable predictionを出せて、実験の検証に耐えるものを > 見つけたら光を当ててあげましょう。 (ちょっと冗談ですが)「昔の雑誌を調べれば当時は間違っているとさ れたが現在ちゃんと実験すれば検証に耐える説がのっている(あるいは のっていない)」という説は検証可能ですか?「昔の雑誌」は有限量し かないので原理的には検証可能ということになりますか。というわけで、 検証可能な仮説であっても押川さんに光を当てていただけるというわけ にはなかなかいかないような気がします。 > 宗教のなかでもインチキはそのうち淘汰されるかもしれません。 > 僕の見る限り、2000年くらい経っても全く進歩していないようですが。 > (あるいは、進歩しているかどうかのcriterionがわからない) これは、「押川さんには宗教が進歩しているかどうかはわからない」と いうことですね。(あ、僕にはわかるってわけじゃありませんから、念 のため) 牧野@東大駒場