Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!etl.go.jp!trc.rwcp!rwc-tyo!news.iij.ad.jp!hskiij-news!hsk-news!hskgw.hitachi-sk.co.jp!wnoc-sfc-news!venus.sun.com!cs.utexas.edu!news.sprintlink.net!news.gdbnet.ad.jp!sinetnews!newssinet!news.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.life.religion,fj.sci.misc Subject: Re: $B%+%k%H$NDj5A(B_____The Identify OfCULT Date: 21 Jun 1995 10:39:54 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 102 Message-ID: References: <4226@aether.hil.ntt.JP> <4227@aether.hil.ntt.JP> <4238@aether.hil.ntt.JP> NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp's message of 21 Jun 1995 06:40:05 GMT Xref: coconuts.jaist fj.life.religion:2897 fj.sci.misc:1205 >>>>> On 21 Jun 1995 06:40:05 GMT, oshikawa@mmm.t.u-tokyo.ac.jp (Masaki OSHIKAWA) said: > 無限のパラメータを導入すれば、有限個の観測データがフィットできるのは > ほとんど当り前ですから、そのような”理論”は実質的にpredictive power > を持たない ということでしょう。 > (ほとんど、単にFourier展開しているようなものですよね。) もちろんおっしゃるとおりです。falsifiable predictionを出して 実験 で検証して、なんてことはできないと、そういうことですね。そうでは なくてpredictive powerなるものを持つかどうかが問題であると。とい うわけでポッパーあたりの科学哲学のおさらいをしているわけですが、、、 > 何だかよくわかりませんが、我々の”いいと思う”のは単純に言って > 実験データを同程度にフィットできる理論ならば、フィッティング > パラメータの少ない方が信用できる えっと、これはもちろんいわゆるオッカムの剃刀(でしたっけ)という やつで、これに対する認識論的アナーキズムの立場の「歴史的」反論と いうのがあるわけです。これは簡単にいうと、 a) 二つ理論があってどちらも実験データを同程度にフィットできるなん ていう状況はそんなに普通ではなく、多くの場面で有効な基準ではない。 b) 仮に、これを拡張して「実験データを良く説明できるほうがよい」と いうことにすればほとんどの新しい科学理論は考えられてすぐ抹殺され ていなければならない。 c) 「パラメータが少ない」というのは良く定義された概念ではない。 というようなものです。せっかくだからちょっと例をつくって見ましょ う。 >> Newton力学で惑星の運動を計算する > 別にNewton力学でなくたって計算はできるという主張はできますね。 > その”理論”のパラメータ(任意性)がニュートン力学より少なければ > 優れた理論ですね。 > 任意性が少なくて、かつ正しい(実験で反証されない)結果を出す > 理論を作るのはnontrivialなことです。 「惑星の運動はケプラーの三法則に従う」という「理論」に比べてどの ような意味でニュートン力学のほうがパラメータが少ないといえます? ニュートン力学のパラメータはa)運動方程式 b)重力の法則 c)太陽の質 量というくらいはありますね、で、ケプラーの三法則というのはもちろ んこれ3個を仮定するわけですね。この2つの「パラメータの数」をどう やって数えるのでしょう。 > そうです。現状では例えば Brans-Dickeも排除されない。 > 現段階では EinsteinかBrans-Dickeかというのはある意味で趣味の > 問題ですよね。 > それはそれでいいんじゃないですか。 ふうん、そうなんですか。押川さんがEinsteinが正しいとおもっていらっ しゃるのは単にそれが趣味だからであるということになるのでしょうか。 > 検証の定義が問題ですが、 > 「いろいろやってみたんだけと思いつく限りの実験では間違っていると > いう答えはでてないから、一応正しいということにしておこう」という > のが「素朴な反証主義」の主張です。 > このような意味でしか”検証”できないと 思っています。 > それ以上の”検証”がなされた例があるんでしょうか? ちょっと「検証」という言葉の使い方がユニークだったので戸惑いまし た。ごくふつうの「素朴な反証主義」に立たれるということですね。 > で、「そんなこといったってもし > も理論と実験が合わなかったら合うまで補正項を入れるんじゃないの」 > というのが「素朴な反証主義」に対する反論なわけです。 > 実験が合わなかったら合うまで補正項を入れた”理論”というのは > 上に述べたように 良い理論とは考えません。 本当に?例えば彗星の軌道を計算するのに、まず太陽重力を考える、次 にどうもうまくないので木星の重力を入れる、まだ合わないので太陽風 を入れる、さらに一般相対論的補正も入れてみる、、、、、というのは でも「良い理論」だと思っていただけますよね? #ダメっていわれたらどうしよう。 > ある理論の”正しさ”、”良さ”というのは、絶対的なものではなくて、 > ある意味で相対的なものでしょう。例えばある実験で反証されたとしても、 > その実験が間違っている可能性もあるわけですから。実験で通ったとしても、 > もちろんその実験も間違っているかもしれないし、しょせん有限個の実験 > データですからね。 まったくおっしゃる通りだと思います。ある理論が「反証されている」 かどうかは要するにわからないと、そういうことですね。 > 理論の”正しさ”に対してもっと深く理解しようと思ったらそういう > ”信頼性”を何か量的にとらえなくてはいけないような気がします。 そういうわけで何か量的にとらえたいなというのが「改良された反証主 義」の目指すところのようです。けっこうマトモそうでしょ? > 正直に言うと、主張するにはその分野について学ばないといけないだろうが、 > 学んでも(僕には)面白くなさそうなのでパスしたいと言うことです。 上のようなことを考えておられるのならば、結構面白いかもしれません よ。 牧野@東大駒場