Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.join.ad.jp!aoba!akiu!wnoc-snd-ss2!wnoc-sfc-news!wnoc-kyo-news!aist-nara!odins-suita!ougw2!ccews2!newssinet!news.u-tokyo.ac.jp!komaba!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.life.religion Subject: Re: $B%+%k%H$NDj5A(B_____The Identify OfCULT Date: 27 Jun 1995 01:11:53 GMT Organization: Dept. of Earth Science & Astronomy, College of Arts & Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 83 Message-ID: References: <4226@aether.hil.ntt.JP> <4227@aether.hil.ntt.JP> <4238@aether.hil.ntt.JP> NNTP-Posting-Host: tache.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: fujita@csis-f.csis.oita-u.ac.jp's message of 25 Jun 95 15:04:05 GMT >>>>> On 25 Jun 95 15:04:05 GMT, fujita@csis-f.csis.oita-u.ac.jp (Fujita Yoneharu) said: > =>> =>ニュートンの万有引力というのは、まさにそういうものとして大陸の科 > =>> =>学者から非難されたようですね。なぜ引力が働くかの説明を放棄してい > =>> =>ると。 > =>>  ニュートンが実際にどのように言ったのか知りませんが、 > => > =>知らないのに推測でものをおっしゃるのですか。とても科学的態度とは > =>いい難いですね。 > 確かに、推測で無条件に「〜〜だ。」と言えば、非科学的と言われてもしかた > がないですね。ただ、私は「ニュートンが実際にどのように言ったのか知りま > せんが、」の後に、 > 1.もし、「引力がどうして働くかは分からない」と言ったとしたら、正 >   に分からない事を「分からない」と言っただけで、何も問題は無いと >   思います。 > 2.もし、「引力が働く原因は、神がお創りになった」と言ったとしたら、 >   これは、ニュートンも宗教の影響から逃れられていなかっただけの話 >   ですね。 > と言っており、どのように言ったかに拘らず、ニュートンの説明放棄が、私の > 主張に影響が無いことを示しているのですが、いかがですか? ニュートンのいったことが上のいずれでもなければ、主張に意味がなく なりますね。「どのように言ったかにかかわらず」なんてことはないで しょう。ちなみにこういっているそうです(ベー・エム・ゲッセン、ニュー トン力学の形成、翻訳:法政大学出版局 1986 p 72) 「しかしながら、なぜ発光塊---太陽---が系の中心にあり、それが占め ている場所にげんにあるのかを、自然の原因によって説明することは、 決して可能ではありません」 「したがって、唯一可能な説明は、惑星たちが自分の必要とする光と熱 とを受けとるように賢明に彼らを配置した、宇宙の神的創造者を承認す る、ということなのです」 これは「重力の原因」に関してではなく、太陽系の初期条件に関してで すが、ゲッセンはニュートンのこの主張を、「彼の力学の原理について の把握から必然的に導かれる」ものとしています。ま、ものはかんがえ ようですが。 > =>> => ガリレオのことを「素直な観察者」と > =>> =>いうのはどんなもんでしょう。「素直な観察」だけから天動説が正しく > =>> =>ないと結論できるというようにお考えでしょうか? > =>> もちろん、自分の観察と天動説とをつぶさに比較検討した結果の結論でし > =>> ょう。単に、自分が直感的にそう思っただけということではないのではあ > =>> りませんか?まあ、これは私の憶測ですから、間違っているという証拠が > =>> あれば、撤回致しますが。 > => > =>クーンでもラカトシュでも読んでみたらどうですか。間違っている証拠 > =>については、僕と押川さんの議論が参考になるかと思います。 > 分かりました。私は、これについて知りません。読んで見たいのでもう少し、 > 詳しいポインタを頂けるとありがたいのですが。 I. ラカトシュ、A. マスグレーヴ編、森博監訳「批判と知識の成長」木 鐸社 1985 > =>そういう宗教がなかったという証拠でもあるのですか?自分の頭の中に > =>勝手に「宗教とはこういうものである」というのを作り上げておいて、 > =>それを批判していらっしゃるのならそれこそ「宗教的態度」といわれて > =>もしかたないですね。 >  これについては、他の人へのフォロウの中で、「私が『宗教』と言っている > のは、『神』またはそれに類する不可侵の全能者または絶対者をもち、『神』 > によって思考を断ち切る、あるいは『神』をものごとの出発原理とする宗教の > ことです。」とおことわりしております。したがって、「全ての宗教が〜だ。」 > と言っているのではありません。 なるほど、あくまでも藤田さんの頭のなかにある宗教についての発言で あり、 >  もちろん、「『神』を根拠にしたものについての疑義が生じた時、『神』を > うたがってみる」ような宗教がある可能性は否定しません。牧野さんがそのよ > うな宗教の例をご存じならば、示して頂けると有難いのですが。私の身の回り > では、そのような宗教にお目にかかったことがありません。 宗教がそういうものであるかどうかは日常生活で培われた直観で判断な さるということですね。 せっかくですので「例」をあげてみましょう。例えばキリスト経では 「神がどういうものであるか」というのは、「議論」されることですね。 そういう例でいいのでしょうか?「神がどういうものかを議論する」の であれば「神によって思考停止する」とはいえないことになりませんか? 牧野@東大駒場