Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.nc.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.sci.physics Subject: Re: 自由落下の厳密解 Date: 17 Oct 1996 12:38:36 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 79 Message-ID: References: <53fv3j$98q@fs.naruto-u.ac.jp> <53skco$q9s@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <53v9qo$9gp@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <5425q8$q6b@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <544q1l$2h2@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> NNTP-Posting-Host: kaiji.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: c54262@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp's message of 17 Oct 1996 08:16:53 GMT >>>>> On 17 Oct 1996 08:16:53 GMT, c54262@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) said: >> そういった系はどうすれば「説明」したことになるかっていうのは、お >> そらく人によって考え方が違うし、また同じ人でも問題によって違うで >> しょう。 > 結局こういう辺りに話は落ちつくのかも知れませんが・・・ > ただ、実際に衛星がちょっとヘンテコな軌道を描いて運動するのを見たとき、 > あのような「説明」で納得するかどうか・・・ まあ説明にはいろいろありますから、軌道の絵を CG でみせるとなんと なく納得したつもりになるとか、ポアンカレ・マップでもみせると納得 したつもりになるとか、そういう人もいれば、そうじゃなくてそういう 人工衛星の軌道を計算して、どれくらいの期間まわせそうか求めたいっ ていう人もいるわけだし、、、 >> 本当に大きさがゼロだと電荷が発散しないと多重極子はないのではない >> かという気もするのですが、 > この点は質量の場合も事情は同じです。しかし、質量の場合は、負の密度が > 存在しないため、質量多重極子モーメントと全質量を一定に保ったまま半径を > 無限小にすることは、質量の発散を許してもできません。ここが電荷の > 場合との相違です。 すみません、全質量を一定に保ったままでは質量は発散できないと思う のですが、えっと、電荷の場合には正負それぞれを発散させて、合計を 有限に保ったまま大きさを形式的に無限小にできるということはわかり ますが、、、 > 言いたかったのは、質量の場合はこの性質があったから、2つの小物体の > 間の万有引力の問題は球対称問題で近似・理想化でき、そのアナロジーで > 電荷の場合もクーロン則が導出され、補正項の意味付けとして多重極子が > 登場したと考えれば、電気双極子の実体(??)としての意味は、どうなる > のでしょうか、ということでした。もし、これと異なる過程で静電気力の > 理論が作られていたら、必ずしも存在しなかったのではないでしょうか。 > また、質点の場合も、球対称なポテンシャル非調和性を一つの特異点に > 押し込めた操作上の産物ですから・・・・ やっぱり僕には坂口さんがなにを問題であると思っているのかがどうも わかっていないみたいですね、、、 >> うーん、答が変わらなければ「同じもの」のような気がするのですが、 >> これは主観の問題かな。で、別に意味づけや描像が使用する数学手法に >> 依存せずに決まらないといけないという理由はないような気がします。 > 決まらないといけないという理由はないと思います。だからこそ、何を > 示したら説明したことになるのかが、ますます分からなくなっているのです。 えっと、その、何を示したら説明したことになるのかというのが対象の 性質として決まっているべきだというふうにお考えなのでしょうか。必 要とか使える数学の形式とかにもよっていると思うのですが、、、 >> もちろん、球面調和関数展開が正しい説明であると信じる人々が、差分 >> 法のほうが良さそうな問題でも差分法で計算する人を攻撃するといった >> ことが起きるとちょっと問題なわけですが。坂口さんの問題意識はその >> へんにあるのでしょうか。 > いいえ。そんなことは通常は起こり得ないと思います。 そうですか、、、ときどき目にするような気もしなくはないのですが。 > 疑問はもっともっと > 素朴なものであり、「何を記述したら対象(??)を記述したことになるのか」という > 問いに自然現象の説明が依存している点です。 すみません、ちょっと意味がわからないのですが、「何を記述したら対 象(??)を記述したことになるのか」というのは要するに「自然現象の説 明」とは何かということですよね?形式的には依存して当然な気がする のですが、、、 ただ、「小惑星のまわりの重力場」という話に限っていうと、やはり、 その、ポアソン方程式を解けば求まるっていうのが「説明」になってる と僕は思うのですが、、、で、坂口さんが「それでは説明ではない」と お考えになるとすれば、やっぱりそれは人によるからということになっ てしまうような気がします。 牧野@東大駒場