Path: coconuts.jaist!cs.titech.ac.jp!o.cc.titech!titech.ac.jp!wnoc-tyo-news!sinfony-news!news01.so-net.or.jp!infosphere!asakanet!axion!asakagw!fiaskry!sakunami!chiba-ns!news.chiba-u.ac.jp!eclnews!sinetnews!news.nacsis.ac.jp!alps!cryst!escargot!t-server!news.nc.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.sci.physics,fj.sci.philosophy Subject: Re: Reference on 'incommensurability' Date: 28 Sep 1996 06:35:34 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 80 Distribution: world Message-ID: References: NNTP-Posting-Host: kaiji.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: kuroki@math.tohoku.ac.jp's message of 28 Sep 1996 03:08:53 GMT Xref: coconuts.jaist fj.sci.physics:3850 fj.sci.philosophy:980 >>>>> On 28 Sep 1996 03:08:53 GMT, kuroki@math.tohoku.ac.jp (Kuroki Gen) said: > 黒木と申します。 どうも、ごぶさたしておりました。牧野@東大駒場です。 > 「共約不可能性」の問題は典型的な哲学の話題であると思ったので、 > fj.sci.philosophy にもクロスポストしたのですが、fj.sci.philosophy の常 > 連の方々からのフォローはまだ無いようですね。どなたかに「哲学も勉強した > 方が良いのでは」というようなお節介で批判的アドバイスを受けたような憶え > があるのですが、「共約不可能性」の話題には興味がないのかな?「神話の怪 > 物」の話題に哲学的な興味を憶えた人や、科学と非科学の間の境界線の問題に > 哲学的な興味がある人は、当然「共約不可能性」の問題に関しても興味を持つ > はずなのですがね。 ... その、もし意識的にやっておられるのでしたらわざわざ申し上げる までもありませんが、ちょっと文体および内容が下品に流れていません か。 「共約不可能性」の問題に関しても興味を持つということと、「共約不 可能性」の問題に関して黒木さんと議論したいと思うということは一応 別なので、黒木さんのポストにフォローがなかったからといって 「fj.sci.philosophy の常連の方々」(というのが誰のことか知りませ んが)がそういった問題に興味がないということにはならないでしょう。 と、まあ、こんなことは本題とは関係ないのですが、 > まず、「共約不可能性」が科学論一般においてどのような意味で使われている > かですが、これが私にはよくわからない。どうも、その意味自身が議論の対象 > になるような概念のようです。 そのようですね。 > 野家啓一の論文集[N]に所収の「「共約不可能性」再考」p.121には、共約不可 > 能性を「同じ図形がある人にはウサギに見え、別の人にはアヒルに見えるといっ > た知覚レベルの反転現象と同列に論じられてはならない」と書いてあります。 > しかし、ファイヤアーベント[F]の邦訳の第17章を見ると、「その明示的な定 > 義を与えることはほとんど可能ではない」とした上で、「共約不可能性」の例 > として知覚レベルの反転現象とみなされるものも挙げてあります。この辺の食 > い違いをどう理解したら良いのでしょうか? 「人によっていうことが違う」というふうに理解なさればよろしいので はないでしょうか。野家は「共約不可能性」を「再考」したんでしょう から、ファイヤアーベントと全く同じことをいっていなくても不思議は ないと思うのですが。 > しかし、ニュートン力学とアリストテレス運動学の共約不可能性に関する上よ > うな説明に納得した人でも、特殊相対論的力学とニュートン力学の間の共約不 > 可能性についてそれと同じレベルで論じることには、不平不満を感じる人は多 > いはずです。 (私もそうです。) 不可能性の程度や性質を無視して「それらは > 共約不可能性であるか否か」を論じることは無意味であると思います。 えっと、例えばどんなひとが不可能性の程度や性質を無視して「それら は共約不可能性であるか否か」を論じているのですか?野家の議論につ いては黒木さんは暇がなくて詳しく見ていないということのようでした が、他にどのような例があるのでしょうか。 > 例えば、徳間書店の『トンデモ科学の世界』の共著者の一人の竹内薫氏のよう > に、自分の肩書は科学哲学者であるとし、「科学哲学は、科学のお目付け役で > ある。」と科学哲学を紹介した上で、ファイヤアーベントが何を言っているか > 自分の言葉で紹介せずに、単に[F]の言葉をそのまま引用するだけですますと > いう、トンデモなく低レベルなものが存在するので注意が必要です。 (ところ > で、『トンデモ科学の世界』は奇妙な本で、前半の竹内氏が書いた部分と、後 > 半の茂木健一郎氏が書いた部分は全く独立に読めて、後半の茂木氏が書いた > 「意識」の問題の解説は結構面白く読めるのです。どのような経緯で一冊の本 > になったのか?もしも、茂木氏が「意識」の科学の宣伝としてあの本の共著者 > になったとしたら、それは失敗であると思います。実際、あの本の前半を書い > た竹内氏の名前しか憶えてない人もいるようだし、前半のみをちょっと見て後 > 半の存在を知らないという私の友人も存在します。ペアを組んで本を書くなら、 > それなりのレベルの人と組むべきだったでしょう。) いつもながら手厳しいですね、、、「ファイヤアーベントが何を言って いるか自分の言葉で紹介」するのは(特に「挑戦」については)なかな か大変でしょうし、下手にやると誤解を広めるだけでしょうから、引用 ですまして「興味を持った人は原典を読め」っていうのは結構正しい紹 介のような気もするのですが、そういうのは駄目ですか。あれはなんて いうか量によって説得しようみたいな本だし、、、 牧野@東大駒場