Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.nc.u-tokyo.ac.jp!zion.phys.s.u-tokyo.ac.jp!geoph!news.ms!komaba!news.c.u-tokyo.ac.jp!news.c.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@kaiji.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.soc.pseudo-science Subject: Re: Kubota Takashi & Gotou Manabu (Re: konnno kennichi) Date: 25 Nov 1997 15:20:51 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 73 Message-ID: References: <64jt3n$e30@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64n97s$5m3@www.tuat.ac.jp> <64o9h2$2kt@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64qsh7$hi7$1@paris.isaslan1.isas.ac.jp> <64r0i4$jpu@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64roff$rfq@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64rqvd$1nr@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64u8bl$2fe@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <6502ol$mlv@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <65bkr1$g08@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> NNTP-Posting-Host: kaiji.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: nono@frank.riken.go.jp's message of 25 Nov 1997 13:32:15 GMT Xref: coconuts.jaist fj.soc.pseudo-science:3040 >>>>> On 25 Nov 1997 13:32:15 GMT, nono@frank.riken.go.jp (Yoshihiko NONOMURA) said: > *絶対的基準*と書くと、「それはブラックホールの中でも成立 > するという意味ですか?」というたぐいの挙げ足を取られるので > 思い直したのですが、「この条件下では誰が実験しても同じ結果 > が得られ、理論と矛盾しない」程度の*客観性*は要求されると。 なんでも挙げ足取りと思い込むのは勝手ですが、物理の研究者ならもう ちょっと注意深くものを書いてもいいような気もしなくもありません。 まあそれはそれとして、 「この条件下では誰が実験しても同じ結果が得られ、理論と矛盾しない」 程度の*客観性*は、例えば超能力の実験ってのも持ってますね。 「実験事実」:「超能力を疑う人がいないところでは、実験はいつも成 功する」 「理論」:「超能力を疑う人は、超能力を妨害する精神波を撒き散らし ている」 野々村さんはそれでも超能力っていうのを信用しないと思いますが(で すよね?少なくとも僕はしません。)それは、*客観性*なるものが野々 村さんが上に書かれたよりはもうちょっと微妙な概念であるということ を示唆しているとはおもわれませんか? >> さらに、「個人の趣味で決まるわけではない」ものは別に科学に >> 限らずいっぱいあるようにも思いますが、そういうものと科学は >> 別に区別の必要はないということでしょうか? > 坂口さんが「自称詩人」や「自称美人」を持ち出してきたから > そう書いただけです。勝手な曲解はやめましょう。 なるほど、個人の趣味で決まるかどうかは科学と他のものを区別する基 準ではないということですね?これは曲解ではないと思っていいのでしょ うか?例えばそれが必要条件ではあるとして、もうちょっと限定する条 件ってのは例えばどんなものですか?これまでのところ、「絶対的基準」 にかわるものとして「個人の趣味で決まるわけではないこと」ってのが 出てきて、でもそれは十分な基準ではないということすね。 >> ただ、科学というものの一つの意味が予測可能性をもたらすとか >> いうところにあるとすれば、ある現象に対して具体的に決定論的 >> な方程式を与えられるということは非常に重要なことであり、 >> 通常の意味での博物学とはちょっと違うようにも思います。 > いやいや、あるカオス的な自然現象が与えられても、「それを記述 > する決定論的な方程式」を具体的に求められるわけではありません。 > リアプノフ指数や分岐の様子などが観測できるだけでしょう。 この野々村さんの文章からは、自然現象で、それを記述する方程式はわ からないけれどもそれがカオス的であるということはわかり、さらには リアプノフ指数や分岐の様子が決定できるものがある、というか、カオ スというのはそういうものであると主張されているように見えますが、 そう思っていいのでしょうか? なんかおっしゃることがくるくるかわるようで私にはついていけないの ですが、ちょっとまえにカオスについて > 通常議論されるのは決定論的な方程式で生成されるもので > ることはわかっています。ただ、そこでの「決定論」は > 方程式の数だけあり、そこで終えては単なる博物学ですね。 と書かれたのとはなにか違うものについて話されているのでしょうか? いや、その、私の身の回りでは、カオスっていうと冥王星の軌道とかま あもうちょっと一般的にいうとハミルトン系のカオスとかしか出てこな いので、支配方程式がわかってないけれどカオスかどうかはわかるものっ てのが良くわからないのです。例えばどんなものなのですか? > 「科学は万能」なんてナイーブな科学観を持っていないからこそ、 > あえてプラトン的な範囲に対象を限定しているつもりですが。 あ、ところで、どうやって限定する範囲を決めるのですか?科学的には 決められないような気もしますが。それから、野々村さんの観点から、 科学で扱える範囲外にあるものってのは例えばどんなものですか。 牧野@東大駒場