Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.join.ad.jp!sutnews.sut.ac.jp!Q.T.Honey!quest-news!news.t.u-tokyo.ac.jp!news.nc.u-tokyo.ac.jp!zion.phys.s.u-tokyo.ac.jp!geoph!news.ms!komaba!news.c.u-tokyo.ac.jp!news.c.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@kaiji.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.soc.pseudo-science Subject: Re: Kubota Takashi & Gotou Manabu (Re: konnno kennichi) Date: 26 Nov 1997 11:27:56 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 42 Message-ID: References: <64jt3n$e30@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64n97s$5m3@www.tuat.ac.jp> <64o9h2$2kt@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64qsh7$hi7$1@paris.isaslan1.isas.ac.jp> <64r0i4$jpu@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64roff$rfq@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64rqvd$1nr@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64u8bl$2fe@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <6502ol$mlv@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> NNTP-Posting-Host: kaiji.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: nono@frank.riken.go.jp's message of 26 Nov 1997 06:48:14 GMT Xref: coconuts.jaist fj.soc.pseudo-science:3049 >>>>> On 26 Nov 1997 06:48:14 GMT, nono@frank.riken.go.jp (Yoshihiko NONOMURA) said: > 野々村です。 > バックグラウンドにシグナルが埋もれているようなデータならば、 > ある理論を仮定してそれに沿った解析を行い、最終的に自己矛盾 > が起こらないかどうかを調べることになるので、そういう問題も > 起こってくるのかもしれませんが.... そうでないような実験とか測定は、研究の現場では珍しいと思います。 >> 「事実」ってのと「虚心に」ってのはそれぞれどういう意味なのですか? > 「実験結果を先入観なく受けとめる姿勢」ならいいのかな? でも、「目の前の実験結果を説明するために、過去の研究を無視し」た りはしないわけでしょ?「先入観」には「過去の研究」は含まれないわ けですね。 >> なるほど、「事実」とか「虚心に」とかいうのは、「統計的な >> 物の見方」を前提とするものなのですね。なかなかユニークな >> お考えをお持ちのようなので、そのあたりの関係がどうなって >> いるかもう少し詳しく御説明願えないでしょうか。 > 元ポストに対する吉田さんのフォローへの回答のつもりです。 > 「実験結果には常に誤差が含まれるので、統計的な物の見方 > は解釈の前提だ」くらいでしょうか。*ユニーク*ですか? 「統計的な物の見方」が「事実を虚心に見ること」の前提だってのは、 やっぱりユニークだと思いますよ。「統計的な物の見方」ってのは、多 くの場合、実験結果がよほどひどく理論から離れていない限り、理論の 方を採用しようという判断(これは、大抵の場合に「正しい」わけです が)をするために使うわけですし。 一応念のため書いておくと、「統計的な物の見方」が科学研究にとって 有用ではないとかそういうことがいいたいわけではなくて、単に「事実 を虚心に見ること」ってのがちょっと通常の研究者がやっていることか らは遠いのではないかというだけです。むしろ、いろんな人がいろんな 偏見や先入観をもって物事をみて、そのなかで「うまくいく」(という のがいったいどういう意味かってのはまた問題ですが)ものをとりあえ ず使ってみるというほうが現実に合ってませんか? 牧野@東大駒場