Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!news.nc.u-tokyo.ac.jp!zion.phys.s.u-tokyo.ac.jp!geoph!news.ms!komaba!news.c.u-tokyo.ac.jp!news.c.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@kaiji.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.soc.pseudo-science Subject: Re: Kubota Takashi & Gotou Manabu (Re: konnno kennichi) Date: 26 Nov 1997 15:14:20 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 55 Message-ID: References: <64jt3n$e30@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64n97s$5m3@www.tuat.ac.jp> <64o9h2$2kt@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64qsh7$hi7$1@paris.isaslan1.isas.ac.jp> <64r0i4$jpu@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64roff$rfq@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64rqvd$1nr@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <64u8bl$2fe@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <6502ol$mlv@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> NNTP-Posting-Host: kaiji.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: nono@frank.riken.go.jp's message of 26 Nov 1997 12:34:15 GMT Xref: coconuts.jaist fj.soc.pseudo-science:3053 >>>>> On 26 Nov 1997 12:34:15 GMT, nono@frank.riken.go.jp (Yoshihiko NONOMURA) said: > 野々村です。 > 「なんだこの結果は!!従来の理論では理解できないぞ!!」な > エポックメーキングな実験は、そういうものではないと思う。 野々村さんのこういう反応って、いかに科学者ってのは自説に執着し、 アドホックな修正を次々に加えることによってでもこれまでの解釈を保 とうとするかってのの好例ですね。あ、誤解を招くといけませんので一 応書いておきますが、そういう態度が悪いといっているわけではありま せん。 ちなみに、エポックメーキングな実験というと、例えばどんなものでしょ う? >> でも、「目の前の実験結果を説明するために、過去の研究を無視し」 >> たりはしないわけでしょ?「先入観」には「過去の研究」は含まれ >> ないわけですね。 > それはそうです。「新理論」と言っても、大抵はある極限を取れば > 従来の理論を含んでいたりするわけで。もちろん、従来正しいと思 > われていた理論とその検証実験がひっくり返るケースもありますが。 なるほど、要するに、野々村さんは、「基本的には従来の研究が正しい に決まっている」というふうに思った上で物事を見ることが、「事実を 虚心に見ること」でありさらには*科学的方法*であるとおっしゃって いるわけですね。 Nono> 「実験結果には常に誤差が含まれるので、統計的な物の見方 Nono> は解釈の前提だ」くらいでしょうか。*ユニーク*ですか? >> 「統計的な物の見方」が「事実を虚心に見ること」の前提だってのは、 >> やっぱりユニークだと思いますよ。「統計的な物の見方」ってのは、 >> 多くの場合、実験結果がよほどひどく理論から離れていない限り、 >> 理論の方を採用しようという判断(これは、大抵の場合に >> 「正しい」わけですが)をするために使うわけですし。 > その「多く」というのがクセモノであることは上記の通り。 > 高温超伝導発見後2〜3年の「再現性のない常温超伝導」 > などは、「統計的に否定された」と言って良いのでは。 で、それがどうしたのですか?だから「実験結果には常に誤差が含まれ るので、統計的な物の見方は解釈の前提だ」というわけではないとでも おっしゃりたいのですか? > 「とりあえず何か仮定してみる」のは単なる作業仮説であり、 > 「うまくいくものを採用し、うまくいかないものは却下する」 > のであれば、「先入観」とは呼ばないと思うのですが。 「作業仮説」が、従来の理論の修正とか、新しいパラメータの導入とい う形に作られているものであることが多いと思いますが、そういうのは まったく「先入観」とは呼ばないというのが野々村さんのお考えである ということでしょうか。「先入観」という言葉の理解としてはちょっと 独特なものであるとは思いますが、おっしゃっていることは理解できま す。 牧野@東大駒場