Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!newsfeed.btnis.ad.jp!np0.iij.ad.jp!news.iij.ad.jp!rim.or.jp!ayamura-news!Q.T.Honey!quest-news!news.t.u-tokyo.ac.jp!mech.t.u-tokyo.ac.jp!is.s.u-tokyo!zion.phys.s.u-tokyo.ac.jp!geoph!news.ms!komaba!news.c.u-tokyo.ac.jp!makino From: makino@chianti.c.u-tokyo.ac.jp (Jun Makino) Newsgroups: fj.soc.pseudo-science Subject: Re: Kubota Takashi & Gotou Manabu (Re: konnno kennichi) Date: 03 Oct 1997 10:13:26 GMT Organization: College of Arts and Sciences, Univ. of Tokyo Lines: 60 Distribution: fj Message-ID: References: <60hka4$26i@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <60qpa4$6t@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <60sdnu$6tp@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <60t2hs$i36@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> <60v50b$338@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp> NNTP-Posting-Host: muscat.c.u-tokyo.ac.jp In-reply-to: c54262@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp's message of 2 Oct 1997 03:38:51 GMT Xref: coconuts.jaist fj.soc.pseudo-science:2447 牧野@東大駒場です。 >>>>> On 2 Oct 1997 03:38:51 GMT, c54262@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) said: >> この文脈では「敢えて徹底的にやる」ことのことですよね?いや、その >> 前のところを指しているのかどうかちょっとわからないのですが。で、 >> 西沢さんが科学的というのとは違うといっておられるのは、「普通はや >> らない」以下のところのように思ったのですが、、、 > あ、すいません。私は両方のことだと思っていたので、 > 勘違いがあったかも知れません。どちらも、必ずあるような > ものではなく、むしろ「異常」で「好ましくない」ことですが、 > 現場でないとはいえない(というより、時々ある)ことですよね。 「敢えて徹底的にやる」ことは、確かに必ずあるようなことではなく、 むしろ「異常な」ことかもしれませんが、しかし、(仮に動機に問題が あったとしても)「好ましくない」ことであるとは私は必ずしも思いま せん。これに対し > 普通はやらない。なぜかというと、相手が利用している > 「恣意的仮定」と同じかよく似た仮定を、同じ分野にいる > 自分も利用しているからです。(というか、その分野では > その仮定が常識のようになっていて、鈍い人なら、それが > 「恣意的仮定」であることにすら気づかないことも。) > また、パラメータ増やしやモデル・フィッティングなんかも、 > 他人のを口汚く罵れば、自分にもはねかえってくるからです。 このような態度は「好ましくない」ものだと思います。理由はすでに書 きましたが、ようするに上のような態度では病的科学というべきものに 陥ってしまった時に方向を修正するメカニズムが働かないように思うか らです。 > で、この話題が出てきたのは、もとはというと、プロの科学者が > 本気で「憤慨」するのは、むしろ上の後者のような場合であって、 > 門外漢の的外れな科学批判にまでわざわざ「憤慨」する必要が > あるのか、という問いからでした。 そうでしたね。で、既に書きましたが私は「敢えて徹底的にや」られる ことで「憤慨」するのはプロの科学者としては問題であると思います。 これにたいし、門外漢の的外れな科学批判については、それが仮に社会 的な影響を持つとすれば「憤慨」する必要があるわけで、そのあたりは 程度と現実認識の差の問題でしょう。 一応天文学をやっている人間としては「ビッグバンは怪しいというのは 本当でしょうか」なんていう文章をみかけると、まあ、門外漢の的外れ な科学批判というのも無視できない力を持っているのではないかという 気もします。まあ、怪しくないかっていわれるとなかなか説明が面倒で はあるのですが。 > ええ、私も近いことを考えています。そういう検討機構が > implicit にうまく働いていることが、科学的健全さの > 一つの重要な要素になると思います。で、分野が孤立して > しまうと、この機構がうまく働かなくなる危険があるわけで、 > そういうのにさえ気をつけていれば、実用上問題はないと > 思います。 その通りですね。ただ、「うまく」働くとはいったいどういうことかと いうのはあまり自明ではない問題のように思います。 牧野@東大駒場