Path: jaist-news.jaist!coconuts.jaist!norisuke.jaist!skylark!icspub!odins-toyonaka!odins-alpha!odins-suita!kuee-news!tamaru-news!Q.T.Honey!news.join.ad.jp!wnoc-tyo-news!etlnews.etl.go.jp!news.trc!usenet@fs2.trc.rwcp.or.jp From: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp (Kentaro ONIZUKA) Newsgroups: fj.rec.games.video.home Subject: Re: =?ISO-2022-JP?B?GyRCJUolPDojJU4lWSVrN08lPSVVJUgkShsoQg==?= Date: 25 Dec 1998 17:01:06 +0900 Organization: RWCP Tsukuba Reserch Center Lines: 92 Sender: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp Message-ID: References: <7552lk$bgt$3@pin2.tky.plala.or.jp> <75vb2p$2o9$2@pear.nssys.co.jp> NNTP-Posting-Host: pdappc1.trc.rwcp.or.jp Mime-Version: 1.0 (generated by tm-edit 7.35) Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP In-reply-to: shiba@nssysgw.nssys.co.jp's message of 25 Dec 1998 06:24:25 GMT X-Newsreader: Gnus v5.0.13 Xref: jaist-news.jaist fj.rec.games.video.home:9752 In article <75vb2p$2o9$2@pear.nssys.co.jp> shiba@nssysgw.nssys.co.jp (Hiroshi Shibayama) writes: >ただ、小説にも弱点があります。 >それは繰り返し読むのはかなり苦痛であるという点です。表現として繰 >り返さなくてはならないのだとしても苦痛であることには違いなく、そ >の苦痛に耐えられてこそ見える物があるのだとしても、その境地に辿り >着く者は少ない。それ故に前衛的な作品として一般受けしない。 これは、小説にせよ映画にせよ、従来型のストーリーテリングでは、どこにも 「鍵」がかかってないからですね。 小説の場合ですと、書籍として読者が買うと、どのページでも読むことができ ます。最初の10ページで設定を知って、最後の10ページでエンディングを 堪能して、「はあ、これは面白い小説かもしれない」と思ってから最初から読 み直して、観賞するという方法もある。同じことは、LDやビデオで配布されて いる映画でも、最初の10分と最後の10分だけ見て「あたり」をつけてから、 全部見直す方法があり得る。 まあ、劇場映画や、テレビドラマ、ラジオドラマや朗読では、視聴者には、最 初と最後をまず観賞するような方法はできませんので、そういう意味では、放 送とか劇場という権威によって「鍵がかかっている」といえます。 >それに引き換え、ゲームは基本的に同じ事を繰り返させることで楽しま >せています。 っていうのは、繰り返さないと見えてこない「鍵のかかった部分」があるわけ です。特定の条件がないと「見せて貰えない部分」があるわけです。しかも、 ゲームをプレイする場合、その「見せて貰えない部分がある」ことをプレイヤー が最初から知っているし、あるいは期待しているわけです。 で、その「鍵のかけ方」が、まさにゲームシステムそのものであって、その方 法はいろいろ提案されているわけですね。 1)ストーリー分岐で、自分の見てない分岐先には鍵がかかる。 2)ストーリーの迂回によるフラグ立てで、フラグが立ってないと鍵がかかる。 3)特定のシーンで取得できるアイテムによってのみ開鍵される。 などなど。 もちろん、最近ではゲームソフトを解析して、シナリオそのものを取り出して しまうこともできますから、そういうのもゲームの楽しみ方の一つなのかもし れませんが、そいつは、まあ簡単にいえば、トランプゲームで相手の持ち札を 全部みせてもらってゲームするのと同じようなものです。 小説の場合も(映画でもそうですが)、本当は最初の10ページ(10分)と 最後の10ページ(10分)を先に読ん(見て)でしまうのは邪道な読み方 (見方)ではあるわけですけどね。 まあ、「鍵がかかっている」ことが分かっている以上、鍵を外したい、、 #「服を着ているから、脱がせたい」ってのと同じか(^^; 見てないところがあるから、まだまだ見たい、、、 こういうのは、人間のたぶん基本的な欲求であって、そこに訴えかけるからこ そ、ゲームは繰り返しプレイしたくなる。 でぇ、たいがいゲームには、易しい鍵のかけ方のところと、難しい鍵のかけ方 のところがバランス良く入っていると、そこそこのめり込ませてくれて、さら に先がありそうな気がして、はまるわけですね。 「ときメモ」あたりで、みはりん2月のイベントとかそういうのは難しい鍵が かかっているわけでしょ。でも「ときメモ」では簡単なものもたくさんある。 あれは別にノベルゲームじゃないんだけれど。 って意味では、ゲームはなんであれ、クリエータの作った宝の山でのプレイヤー による宝探し以上のなにものでもないって気はするんだけれど。 >まぁ、とにかく「ただ小説を表示していればいいから楽じゃないか」と >いう意見が如何にくだらないかと。 >そうじゃない、その先にある物が違うんだ、と。 >その先にある物が欲しいから応援しているのであって、今の形態に満足 >しているわけじゃない。 結局のところ、ノベル系ゲームにおいて、面白いというのは、 1)ストーリー(やシナリオ)そのものが面白い 2)鍵のかけ方が面白い。 3)ストーリーと鍵のかけ方の両方が相乗効果で面白い。 4)ストーリーと鍵のかけ方の双方からくる膨らみ(広がり)全体が面白い。 という4つの場合に分けられて、1)の場合なら、完全に小説でも映画でも別 メディアでやったって面白さは損なわれないでしょう。2)の場合は、脚本が タコでも、楽しめるものがあるはずです。3)あたりがたぶん「痕」や YU-NO あたりの面白さで、以前電気屋さんがいっていた「メタストーリー」なんて話 は、4)なんてことではないか。こいつが ONE の面白さだ、ってあたりの話 じゃなかったっけ。 もちろん、「鍵のかけ方」は「ゲームシステム」とほとんど同義だと思います。 ただ、インタフェースやミタメよりはもうちょっと根本的な機構を意味してい ますけれど。 鬼塚