Path: coconuts.jaist!norisuke.jaist!skylark!icspub!odins-suita!kuee-news!tamaru-news!Q.T.Honey!news.join.ad.jp!wnoc-tyo-news!etlnews.etl.go.jp!news.trc!usenet@fs2.trc.rwcp.or.jp From: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp (Kentaro ONIZUKA) Newsgroups: fj.rec.games.video.pc,fj.rec.games.video.home Subject: Re: ADV(Re: YU-NO) Date: 26 Jan 1998 23:36:49 +0900 Organization: RWCP Tsukuba Reserch Center Lines: 339 Sender: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp Message-ID: References: <34CB5C0E.6B84@yuge.ac.jp> NNTP-Posting-Host: pdappc1.trc.rwcp.or.jp Mime-Version: 1.0 (generated by tm-edit 7.35) Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP In-reply-to: Watanabe Yuu's message of Mon, 26 Jan 1998 00:36:46 +0900 X-Newsreader: Gnus v5.0.13 Xref: coconuts.jaist fj.rec.games.video.pc:16038 fj.rec.games.video.home:18412 あの、結構その建設的議論だと思うんですよ。 まあ、この点については、研究会での発表も控えているので、そういう意味で も、いろいろ楽しい議論にしましょうよ。 In article <34CB5C0E.6B84@yuge.ac.jp> Watanabe Yuu writes: >渡邊@弓削商船です。フォローどうもありがとうございます。 >なるほど、勉強になります。と言うわけでそれぞれの用件に >ついてフォローさせていただきます。 つうことで、いろいろ書こうと思います。別に論争になっているわけではない と思いますよ。 >決まったストーリーは存在せず、 >マップは全て自動作成です。「場面のクリア」なる概念が存在しないわけ >ですね。RPGの名に恥じない、プレイヤーの分身がまさに別世界で生活して >いるようなものです。 これですね。これ。 で、その、毎日、普通に生活していて、人間そんなに凄い事件に巻き込まれる ことはないので、結局、設定と自由な行動というので指定されたストーリーの 存在しないRPGで、楽しい、スリリングで、エクサイティングで、萌え萌えな 話ができるかどうか、っていうと、それがたぶん、難しい。かといって、エク サイティングなストーリーやスリリングなストーリーを作ってしまったとたん に、フラグ立てダケが残るようなものになり、本質的なゲーム性は失われるこ とになる。そのバランスがどうかということだと思いますね。 >話がずれますのでゲーム機のRPGに話を戻します。確かに、一般に言われて >いるRPGは結局の所イベントをクリアしないと話が進まないですね。まさに >おっしゃる通りフラグ立てのゲームです。が、逆に言えば「イベントに関係 >ない」遊び方も存在していますよね。レベルを99にしたり、逆に出来る >だけ低いレベルでクリアしたり、タイムアタックをしてみたり。タイム >アタックなどはクリアしなければいけないイベントを逆手に取った遊び方 >だと思います。この辺がRPGの自由度なのでは無いでしょうか。 そういう方面で楽しむっていうのはたしかにありますね。 >それと、シミュレーションゲームの話ですが、鬼塚さん、それはときメモに >洗脳されていますよ(笑)普通、一般的なシミュレーションゲームと言えば はい。 >光栄の歴史シミュレーションシリーズや大戦略とかを差すと思うのですが。 >シミュレーションの最初が弾道計算から始まったのを考えると、SLGって >仮想現実の事ですよね。しかも出来るだけ忠実に現実を再現する。 いやその、本当のシミュレーションゲームというものの存在していることは、 分かるんです。ただ、どのシミュレーションゲームも本当のシミュレーション ではなくて、なんらかの「現実から切り出した部分」のシミュレーションになっ ているはずです。 その意味で、「現実から切り出した部分」はゲームにできてもその他の部分は 設定や、ストーリーやイベントの作り込みで逃げることになるでしょ。 結局、シミュレーション対象のモデル化がどうなっているかということで、そ こを本格的にやりだすと、そうとう大変なんですよね。 「ときメモ」なんていうのは、とことんその辺を単純にして、それこそ女の子 の行動をすっごい単純にしてシミュレーションにしちゃった。あれは、脳味噌 クラゲな短細胞な女の子を想定して、それを攻略するゲームになっていますね。 非常に典型的な性格をモデル化している。そういう意味では立派なシミュレー ションなんだと思いますよ。現実の女の子はそうは動きませんけれどね。でも、 ある程度、うまい部分を切り出しているから、萌える人がいる。まあ、この切 りだしの妙っていうのが、クリエータの技って気がしますね。その点が、アル ゴリズムを考えるコンピュータサイエンティストが全然できなかったことだと 思うんですよ。 >大戦略の元はボードゲームで、実際現実で演習とかに使われていた物が元 >ですし、光栄の歴史シミュレーションゲームは一種の経営シミュレーション >と言えなくもない。それぞれかなり簡略化されていますが。 そうです。その簡略化がいろいろと難しい。 >大戦略に限って言うとイベントなる物の存在すら妖しくなってくるので(ようは >用意されたコマを使ってやる、勝つか負けるかだけのゲーム) >コンピューターを乱数さいころの変わりに使っているだけかもしれません。 いわば、将棋やマージャンやトランプなどの盤をコンピュータがやっているっ てことですよね。 >まあ、キャンペーンモードだと「歴史的イベント」が入ったりもしますが、 >その辺は強制イベントなのでフラグはあんまり関係ないかと。 >ほかに、シミュレーションゲームにはシムシティーやテーマパークなど >その成長自体を楽しむ物もありますし、その様なゲームだとイベントは >あくまでオマケ、ご褒美でしかないですね。ゲームにストーリー・ >エンディングが存在しませんし。 ええ。シムシティがシミュレーションっていうのはかなり分かるような気がし ていますが、ううむ。あれもたしかに、交通量や人口の移動などが単純なモデ ルとして入っているのは事実ですが、あくまでも、「モデル化して切り出され た範囲」のことで、まあ、その切り出しがうまいから楽しめるってことかな。 >どっちかというと、ときメモの「恋愛SLG」(でしたっけ?記憶が間違って >いるかも)なんて言われると「どこが恋愛をシミュレートしてるんだぁぁ」 >と叫びたくなってしまいますが(笑) それはそうですが、萌える人がいたりするっていうのは、それなりにうまい切 りだしが行なわれているんだと思います。 >RPGに戦略なる物が存在するかはさておいて・・(戦略が必要なRPGってもはや >死滅しているような気が。レベルの力押しでクリアできるようになったのが >RPGの衆愚化の始まりだったのかもしれません) でしょうね。 >鬼塚さんと私のいっているシミュレーションゲームが違うので何とも言えま >せんが、イベントの発火条件が数値であると言うことに関しては、そのとうり >だと思います。 まあ、これも、結構自然現象、社会現象のモデリングとしては、非常にまっと うな方法だと思いますけれどね。 >この辺り自分と鬼塚氏の見解の相違が現れてくると思います。鬼塚氏は、その、 >麻雀とか、クイズとか、タクティカルゲームとかを「ストーリーを進ませる >為のフラグ立ての道具」と認識していらっしゃる用ですが、自分の場合なんか >は、あくまで、「麻雀や、クイズや、タクティカルゲーム」をゲームの主体と >してやっていて、ストーリーは2の次、ゲームを進める上でのオマケに >過ぎないのです。いや、もちろんノベル式ADVはノベルが主体ですから、それ >を中心にゲームをしています。 もちろん、私も、ユナ3などでは、ストーリーはどーでもよくて、タクティカ ルパートで楽しめたし、そういうので楽しいゲームがあることは事実です。 ただ、CDROMをマンタンにするようなデータって、結局プログラムじゃあない ですよね。プログラムをどんなに必死で書いても、それが数百メガになるよう なものじゃない。 一次ゲームと呼ぶものは、基本的にアルゴリズムそのものです。表示部分など を除くと完全にアルゴリズムなんですよね。そういうものは、CDROMを満たす ことはない。結局、ストーリーとかキャラクターとかの絵、背景画像などなど が、CDROMを満たしている。 一次ゲームから、二次ゲームへの移行は、容量を増やす意味でどうしてもしょ うがないんじゃないかと思うんですよね。 >ここにもちょっと意見を。確かに、今までの長い期間でゲームのネタがつきて >きたと思うかも知れませんが、ゲームの発展を願うのなら、「今までのコン >ポーネントのつなぎ合わせと優秀なシナリオ(分岐型を含む)」では限りが >あると思うのです。「今までにだれも考えつけなかった新しい1次ゲーム」 >を作らないと、よりいっそうの発展は難しいのでは無いでしょうか。 >例えば、マリオ64がありますが、「ゲームを変えた」というのはあながち >大言壮語でも無いかも知れません。あれのストーリーはお姫様を助けに行く >だけの単純な話ですが、そのアクション自体で十分楽しめるのですがら、 >あまり冗長なストーリーがついていたらかえって敬遠されたかも知れません。 はい。 この辺は、そのクリエータという人の方向性でもあるんですよね。一次ゲーム は上にも書いたように、アルゴリズムそのものですから、そういうものは結局 プログラマが作るゲームです。ところが、プログラミングというのはやっぱり そんなに多くの人ができるものではない。そこで、ストーリーライティングや 絵や音楽などの総合的なものとして、プログラムがその要素になっていってる のが、現在のゲームでしょう。ゲーム製作がプログラミングから、エンターテ イメントになっているってことかな。 >この辺のことを言いますと、今まではいちいち選択を繰り返したときのメッ >セージを制作者が用意していたので限度があった。しかし、それを自動生成に >し、ついでにイベントの時間状況もずらすとか言うことも自動でやって >どこまで矛盾が無いものが作れるかと言うことですね。了解しました。 はい。こういう方面は、まさに、クリエーター的なゲーム製作(絵やストーリー の製作)と、アルゴリズム的なゲーム製作との中間点だとおもいます。 上でも述べたように、一次ゲームの製作、ゲームシステムの製作というプログ ラミング主体/アルゴリズム主体の部分と、アート的なゲーム製作、絵やキャ ラクターやストーリーという部分が現状では非常に乖離していると思います。 ゲームシステムがタコでも、そこに面白いストーリーを載せれば結構良いとか、 あるいは、ギャルゲーなどでは、ゲームシステムもストーリーもタコだけれど、 声優が人気があるから良いとか、そういう風になると、終末ですね。 システム的な部分とアート的な部分の相補的な発展が必要だろうと思いますよ。 >逆に言えば、期間を区切って時間の経過するタイプだとこれはちょっと >難しいですね・・(夏休みだけとか)。後にイベントがずれ込んでしまうと >もうちょっとで「いい関係」になれるところでゲーム時間が終わってしまう >とか(笑)現在のイベント発生型ゲームの限界でしょうか。 きゃんバニぷる2はそうなんですね。 >> 今、私は、ホームページ上で、ビジュアルノベルを書こうとしています。 >> #まだ公開はちょっと先だけれど、、 > >ぜひ、頑張って下さい。あたらしいシステムの先駆けになるかも知れませんね。 いやそういうことにはならないでしょう。単なるストーリー分岐がある小説で す。ただ、それを叩き台にして、自由度のあるゲームが考えられるか、とうい うのをやってみたいと思いますね。 >この辺、何処までプレイヤーがくり返してくれるかが問題になってきますね。 >昔のADVでも良くあるネタでしたが、出てくるメッセージが何回目まで同じ、 >その次にやっとかわるとかいう代物でしたから当然、度が過ぎると「ああもう >ココには何もないな」と思われてしまうという・・ 結局、そこで、4回繰り返せばイベントが発生する、っていうのが分かってし まえばそれでおしまいでもあるんですよね。 >あっ、他にもマゾ的要素と言えばサウンドノベル風のゲームで >そう言うのもありますよ。その名も「いたち草」と言うのですが、 >テックサターンの付録CDROMに連載していますのでぜひ一度やって >みることをオススメします。怒るか、爆笑するかのどっちかですので(笑) >自分は爆笑しました。あのゲーム、一発でクリアできたら狂人か天才です。 >で、次のはなし。 あ、そうですか。 >なるほど。「制作者のまったく予期しない」話の展開にするのは難しくても、 >制作者の作った大きな流れの中で、幅のある文章作成システムを構築すると >言うことですね。変数付きとはいい表現だと思います。 >変数が変わることで、方程式の答えが違ってくると。3次曲線みたいな >話だと、変数の変化の量で+と−がたびたび入れ替わるので面白そうです。 >たとえが悪いかな? そういうことですね。 >で、最後にこの文章の総括をします。 > >つまり、鬼塚さんはあくまで「シナリオ」(あるいはストーリーと置き換えて >もいいですが)を、ゲームの中心に持ってこようとしている。そして、その >シナリオの良さを生かすためには、現実的に矛盾の少ない、ビジュアルノベル >のシステムが一番良いと。そして、ビジュアルノベルは一本道シナリオでは >なく、シナリオに幅を持たすことが可能であるため、従来のADVの形式より >優れているというわけなんですね。 優れているというよりは、ストーリー主体で考えたときには、ビジュアルノベ ルのような形式が、基本的に「純粋である」といったほうが良いでしょう。ア ドベンチャーゲームはそれに付加的要素がいろいろついているということです。 そして、その付加的要素については、アドベンチャーゲームの「探索」という ことのほかに、マージャンでも、タクティカルゲームでも、ジャンケンでもク イズでもなんでも付加的要素になれる。で、ストーリーのある二次ゲームはア ルゴリズム主体の一次ゲームを部品として繋ぐものであるということです。 >シナリオを楽しむためには、出来るだけプレイヤーに負担をかけるシステムは >よした方が良く、その辺りでもビジュアルノベルの方が優れていると。 「純粋である」にしましょうか。それなら反発する人も少ないでしょう。 >逆に、自分のように「あくまでシナリオはおまけ、パズル的要素の強い、より >ゲームらしい(狭い意味でのゲームだと考えて下さい)ADV」をやって来て、 >「よりそのおまけの部分の充実を求める」によるシナリオの発展とはちょっと >流れの方向が違うわけなんですね。 まさに立場が逆ですね。ストーリーはアドベンチャーゲームにおける探索のヒ ントにすぎず、探索というパズルそのものが面白いというのであれば、ストー リーはヒントかオマケでしょう。 >で、ちょっと話がADVからそれますが、このシナリオ重視の傾向は、日本人 >独特な物だと思いませんか。良いか悪いかは別として、最近はどのジャンルの >ゲームにもストーリーと言う物が存在していると思います。 逆にいえば、これが、日本におけるゲームの革命だったといえるんではないか と思いますよ。一次ゲームを新規に作るのは、新しい理論を作るようなもので、 それこそ、一つ一つが発明に類するものです。もちろん、類似品を作るなら楽 ですが、将棋に相当するゲームを一から作ろうとする、マージャンに相当する ゲームを一から作ろうとするのは、本当に独創性と運がないとできないくらい のものです。その意味で、オセロゲームだって、すごい発明だと思いますね。 だから、一次ゲームはいくつかの系統に分かれる。ボードゲーム系統、モデル 化されたシミュレーションゲーム、アドベンチャー的なパズルなどなど。 ところが、二次ゲームは、結構たくさんできますよ。古今東西、将棋や碁やマー ジャンなど有名な古典的ゲームの数と、有名な小説などの文学作品の数を比べ てみれば、文学作品の数の方が圧倒的に多いのです。 だから、ゲームがたくさん作られて、たくさん消費されるようになれば、どう しても、一次ゲームの製作よりは、二次ゲームのほうにながれていくわけです。 大量生産されるゲームは、どうしても、二次ゲームが溢れることになる。同じ ような一次ゲームを使った、いろいろな二次ゲームですね。 それで、日本では、膨大なビデオゲームが次から次に出てくる。 まあ、生産性の向上という意味では、革命ですよ。 >よって、「日本のゲームは独創性が無い」とかいわれちゃったりするわけ >ですね。システムの根幹が1次ゲームにある以上、新しい1次ゲームの >想像がない、既存のシステムの組み合わせに過ぎない、そのつなぎ目を >シナリオで埋めた2次ゲームは、元となる1次ゲームをあらかたやって >しまっているゲーマーには新しみがないわけですから。 そうですね。そこで、ストーリーで楽しませるようになっているってことです ね。 >日本でのゲームは、そのうち完全に「シナリオ重視」と「ゲーム重視」 >に分かれてしまって、その間のどっちとものいいトコ取りを使用とする >欲張りなゲームが淘汰されてしまうかも。 その意味で、ストーリーが厳密には決まっていないが、なんか、複数のストー リーが生成されるようなポテンシャルがあって、プレイヤーの自由度も非常に 高いが、ある程度想定されたストーリーになるように力がかかるようなゲームっ ていうのが作れないか、と思うんです。 完全なRPGやシミュレーションゲームというもの、まあ、私が思うのは、プ レイヤーがゲームの世界の住人になってその場その場でいろいろできるような ゲームがあるとしますと、ここで「感動的ストーリー」が生まれる可能性は非 常に少ない。 それは、普段の日常生活で、感動するような事件がしょっちゅう起きないのと 同じです。まあ、しょっちゅう起きたら、疲れますが。 たとえ、そのゲームの中の世界に魔法があろうと、テレポートができようと、 そういうのが通用するのゲームの世界の中では、それら魔法やテレポートやそ ういうものが、楽しいストーリーを生み出す切っ掛けになるとも思えない。た だ、現実の世界とは多少違うってだけです。 そこで、ストーリーの方向に導くような力がある。そういうようなゲームの可 能性があるんじゃないかと思います。力はあるが、それは強制的なものではな くて、プレイヤーにとっては、その場その場で考えられるだけの自由度はある。 そういうものだと思いますね。 >#個人的にはその欲張りなゲームの究極形をプレイしてみたい。 >#ストーリーと、ゲームとのバランスがどこまで絶妙に設定できるか。 私もやってみたいですね。 >アメリカ人は1次ゲームを発想するのがうまく、日本人は2次ゲーム >を作り上げるのが上手い。なんかこの辺、国民性が出ていませんか。 >技術といっしょで、改善のうまい集団主義の日本人と、独創性の高い >個人主義のアメリカ人。 で、私よくわかりませんが、アメリカで、将棋やチェスや囲碁などに対応する ような凄い一次ゲームが、毎年毎年どしどし登場しているんですか?やっぱり 分類学が可能なくらい、系列化しているんじゃないかと思いますよ。 それぞれの系統で進化はしているだろうけれど。 まあ、日本でも、一次ゲームといえるものについて、タクティカルゲームなど は、それぞれ違う。たとえば、サクラ大戦のタクティカルゲームとユナ3のタ クティカルゲームは微妙に違うんです。そういう意味では、日本のゲームの中 の一次ゲームも、進化はしています。 >で、最後にちゃちゃ >そんな、ましなだなんてセングラが可哀相ですよ。ある意味あれは「究極の >ゲーム」じゃなかったんですか?(笑) そうでした。いやつい、ホンネがでて、、。ははは。 鬼塚