Path: coconuts.jaist!wnoc-tyo-news!etlnews.etl.go.jp!news.trc!usenet@fs2.trc.rwcp.or.jp From: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp (Kentaro ONIZUKA) Newsgroups: fj.rec.games.video.home Subject: Re: Game System (Re: YU-NO) Date: 14 Jan 1998 22:31:21 +0900 Organization: RWCP Tsukuba Reserch Center Lines: 135 Sender: onizuka@mpapia.trc.rwcp.or.jp Message-ID: References: <69i4gm$8l1@ssogw.osk.ssy.sei.co.jp> NNTP-Posting-Host: pdappc1.trc.rwcp.or.jp Mime-Version: 1.0 (generated by tm-edit 7.35) Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP In-reply-to: tukui@osk.ssy.sei.co.jp's message of 14 Jan 1998 10:37:10 GMT X-Newsreader: Gnus v5.0.13 Xref: coconuts.jaist fj.rec.games.video.home:18101 In article <69i4gm$8l1@ssogw.osk.ssy.sei.co.jp> tukui@osk.ssy.sei.co.jp (Akira Tsukui) writes: >そんな、ごむたいな。(T_T) >すでに内容がYU-NOじゃなくてゲームシステムの話になってます。 >もうすこし読む側のことを考えてくださいよぉ〜。 まあ、そういう意味では、fj.rec.games.video.discussion/theory/modeling があるといいのですよね。現状はないから、どうにもならんです。 私は、ストーリーというものが、登場人物なしには語れないという観点で、characters を入れていたんですが、 ># 私の理解が間違っていたら訂正お願いします。 いいと思います。 >視点がまったく違っているので、話がかみあって >ないように見えます。 >これでは、いつまで立っても並行線ですよ。 そうだと思います。 >実世界で移動によらず話が進むことがあるというのは、 >その通りですが、いくらなんでもAVGがプレイヤーの >自由度を放棄していると一般化するのはむちゃです。 極端な例からすれば、 1)AVGは、移動によってイベントが発生。イベント発生が条件となって、 新たなイベントが発生できる仕組みがある。これがフラグ立てになっている。 ということですよね。 2)ビジュアルノベルでは、その場面場面で可能な主人公の行動のうち幾つか が選択肢で選べるようになっていて、それまでの場面の履歴にそって、 特定の選択肢が発生する、あるいは特定の場面に移行するようになっている。 ということですね。 >例えば、AVGで選択肢に「移動」だけでなく「待つ」と >いうものを用意しておいて一定回数「待つ」を実行する >ことによって、フラグが立ちイベントが発生するという >手法があります。 あり得ます。可能です。 >「移動」そのものでイベントが発生するのではなく、 >「移動を選択すること」によって「フラグが立った」 >結果イベントが発生するんです。 はい。 ># なんか、わかりにくい文章かもしれませんが、 ># ニュアンス伝わりますか? 分かります。その意味では、ビジュアルノベルも全く同じです。特定の選択肢 をえらんだことで、フラグが立ち、それで、それ以降のストーリーが分岐した り、分岐部分に別の選択肢が現れたりします。 >AVGに限りませんが、多くのシナリオ(お話)がある >コンピューターゲームで、フラグ立てがプレイヤーの >自由度を束縛しているということは、事実だと >思いますが。 結局、フラグ立てと、それによって発生するイベントがさらにフラグを立てる という連鎖系列があって、それによってストーリーが進む仕組みという点では、 AVGもビジュアルノベルも両者とも全く同じです。 きゃんきゃんバニィプルミエール2などは、そういう形式になっています。もっ とも、あれだと、前半でフラグの連鎖が始まらないと、後半ぜんぜんイベント が発生しなくなるということもありますけれど。 >モデル化うんぬんの理論はおいといて、鬼塚さんのおっしゃる >ようなビジュアルノベルの形式では、プレイヤーの自由度は >高く出来ませんよ。 どうして? 実際には、AVGでも、一本道のストーリーにすることはできて、これは、たし かに、一本道であるにも関わらず、画面をクリックさせるという点で、自由度 はありますが、これを自由度と呼ぶのでしょうか?たんなる探索ですね。しか も答えが一つの。ビジュアルノベルの多くは、このような無駄な探索をたんに、 一つの場面としてストーリーが一直線にすすむようにしているだけでして、ス トーリーの分岐などの点においては、どちらも全く同じ方法を使っています。 >ビジュアルノベルでは、「自由度が多過ぎる」ので選択を >「絞り込んで」いるんでしょう? 現状では、モデル化が不完全なのと、互いに整合性のある無矛盾なストーリー を複数作ることの困難さから、自由度は落されています。AVGでも、分岐を全 ての場所に設けていないのと同じです。 ># 私が考えている「プレイヤーの自由度」という概念と ># 何か定義が違うのかしら? プレイヤーがいかに自由に選択できても、結果がなにも変わらないのであれば、 それは自由度とはいえない。たとえば、学校から海へ移動するときに、それを 指定したときに、「そんなところにいってもしょうがない」といって、その選 択を無効にしたり、あるいは、学校からは自宅に戻らない限りイベントが発生 しないのに、無駄に海や山へいけるようになっていたとして、それが自由度の 高さなのでしょうか? しかも、これらの行動で内部の時間的発展がぜんぜんない場合は、プレイヤー にたんなる探索をさせているだけです。そして、どのプレイヤーがやっても同 じ結果にしかならないわけです。 そういう無駄な要素(これを楽しいという人もいるけれど)を取り払えば、ビ ジュアルノベルの形式になるでしょう。 >念の為に書いておきますが、ビジュアルノベルという作品 >の形態がダメだと言ってるのではありません。 いや、みなさんがビジュアルノベルの可能性と、本質を正しく認識していない ということだと思います。たしかに、見たところAVGとビジュアルノベルは全 く違うように見えますが、場面と場面を繋ぎ、その途中途中に選択肢を設けて ストーリーを分岐させる仕組みは、AVGと全く同じです。 AVGは、その中でとりわけ移動でイベントを駆動することを主にやっています が、ビジュアルノベルでは、むしろ行動の選択がイベントを駆動するようになっ ているわけです。で移動も行動の一つに過ぎないということです。AVGでは、 移動以外のことを行動として行なうときには、そこにおいて特別な方法で組み 込む必要が出てきますが、ビジュアルノベルは始めから行動全般を扱っていま す。 私にいわせれば、YU-NO や同級生のようなゲームは、簡単にビジュアルノベル にすることができるが、痕などをAVGにすることはほとんど不可能だと思いま す。このことから、表現の幅という点でも、ビジュアルノベルの形式は、AVG を含んでいると思いますよ。 まあ、みなさんも一本か二本くらい、ゲームを試行錯誤で作ってみると、いろ いろわかると思います。 #今作っているけれど。 鬼塚