Jazz spot "Diamond Club"

東京四ツ谷にある "Diamond Club" という bar に2度目に行った時のことである。 壁際に座った2人の若いサラリーマンがスポーツの話をしていた。 お酒が回り始めた頃合いらしく、調子が乗ってきたのか、おしゃべりの飛ばし合いが 私の背中にも聞こえてきている。 そのうち片方の男が思いがけない方向へ話を振った。
「おれが唯一得意なスポーツはダンスだね。」
「社交ダンスだよ。」
「もー10年踊ってるんだ。自慢できるのはこれだけだね。」
社交ダンスという単語が日常生活で聞こえてくることはまず滅多にないし、 スポーツの文脈でダンスが扱われるのも世間では一般的でない(当時)ので、 珍らしさに振り返りそうになったが、なかなかそう不躾なこともできない。

ここは、日替りでピアノ弾きがやってくる Jazz bar である。 グランドピアノのすぐ脇に座れるように席が工夫してあるところが面白いと思う。 床材が凝っていて、 ヨーロッパにあるダンスホールのフロアーをそのまま輸入してきたという話である。 しかし別段ダンスとは関係ない場所であって、 前述のようなサラリーマンがいたのも単なる偶然であろう。 サラリーマン氏が床材のことを知っていたかどうかも定かでない。

私がこういった形式の bar に出かけるようになったのは、 仙台での大学時代からのことである。 ダンスパーティで偶然昔の友達に会い、 「一緒に酒でも飲むべー」となって男二人で繰り出してみたのが、 "Mr. Bassman" という店であった。 Bassman に入ると、看板通りにウッドベースとピアノが置いてあり、 さらに歌手がついて jazz standard の曲を演っている。 内装や調度品もほとんどを黒塗の木材で構成し、 bar としてもいかにも standard である。 歌っていたのは酒井冴理さんという女性であったが、ハスキー声がよいので話しかけてみると、 heavy metal 系のバンドで vocal をやっていたのを jazz に転向して、 その日が初めてのステージだという。 店の雰囲気と、冴理さんの歌が気に入って、その後も出かけていくようになった。 広くない店であったので演奏時にアンプ類を使っていなかったが、 そこがまた気に入っていた。 一人で、友達と、意中の女性と、時には と、 とにかくいろいろな人とかなりの回数通ったものだった。

東京に出てきて何年かした頃、 冴理さんも東京に出てきて歌っているという話を人づてに聞き、 それなら寄ってみようかと思ったその場所が Diamond Club であった。 雰囲気が Mr. Bassman に似ていないこともなく、数回出かけてみただろうか。 しかし、お酒の種類が少ない上に、 ある時 Canadian Club という酒を注文したら味が変だったことがあり、 それ以降寄らなくなってしまった。 それでも店の前を通ったときには、フロアーや、 件のサラリーマンや、 冴理さんや、"Mr. Bassman" や、 遡って仙台時代のいろいろな出来事を連想させられてしまう。