Path: sran265!katsu From: katsu@sra.co.jp (WATANABE Katsuhiro) Message-ID: Date: 11 Aug 93 17:00:09 Organization: Software Research Associates, Inc.,Japan In-reply-to: sugita@sran159.sra.co.jp's message of 10 Aug 93 17:13:01 GMT Newsgroups: sra.comp.misc Subject: Re: Data Flow Diagram on SA/SD Distribution: sra References:  本屋に行ってみたんですが、どうも「構造化分析/設計」の本はあまり 置かれなくなってしまった気配がありませんか。なんだか困らないのかなあ。 オブジェクト指向なんとかは腐るほど置いてあるのに。まあ本屋の立場では 単なる商売なのでしょうが。 記事 で sugita@sran159.sra.co.jp (Kenji Sugita) さんいはく sugita> Data Store は、データを保存するだけで受動的です。Terminator は能動的でデータ sugita> を発生することもでき、Sub System とみなすことができます。  能動的なものと、受動的なものを区別すると、どういう御利益があるのでしょう? あるいは区別しないとどういう不都合が出てくるのでしょう。御利益か不都合が あるからこそ、区別して表記することになってるんだと思うんですが。 記事 で mari@sra.co.jp (Mari Sakurai) さんいはく mari> システムの内部を分析している時には、データフローがどこからくるかと mari> いうことはあまり気にしない方がよいだろう、だから、Terminatorも書か mari> ない方がよいだろうという考えがあるようです。  言いたいのはそこです。  データフローがどこからくるか意識しないというのを極端に行うと、 上の私のように、Data Store と Actor の区別をつけないようなことに なってしまうんじゃないかと思います。  分析はシステムの内部に対して行うわけで、外から対象システムに向かったり 対象システムから出て行くデータフローが Data Store にくっついていようが Terminator にくっついていようが、データフローさえあれば関係ないような 気がしてしまいます。 mari> それから、Terminator は、システムの境界の外部にあるというのが前提 mari> ですが、Data Store は、外部にあっても内部だけにあってもOKです。  それなら、なんでも Data Store で描いてしまえと思うのですが、それは無茶 でしょうね。どうして無茶と感じたかをよく考えると、Terminator の必要性が わかるはずなんですが、まだよく考えがまとまりません。何かヒントありません?  顧客管理システムなどだと、「顧客」は能動的だし、「出力プリンタ」は 受動的だけど外部の実体だから両方とも Terminator になりますよね。 これらを無理にData Store にしてみると(確かに気持ちはわるい)、どんな 矛盾や、分析プロセス上の不便さあるいは危険性が生まれるのでしょう?  あるいは CASE Tool による批評や一貫性検査には、Data Store と Terminator の違いがどう反映しているのでしょうか? sugita@sran159.sra.co.jp (Kenji Sugita) さんいはく > ;;; (2) Process について > ;;;  同じ処理をするプロセス(つまりは多分同じ名前がついている)が複数の > ;;; 場所に現れるのはかまわないのでしょうか? > > SA で手続き的にはまるとこうなります。SA にのっとればこうならないようにできま > す。  ごーん。私も「記法とツールで満足して方法論を知らない」病なのでしょうか。  例えば「標準偏差を求める」ようなプロセスが出てきて複数個所に存在して しまうというのは、やはりどこかで道を踏み外していたんでしょうか?   --- 体重リスト ---> 「標準偏差を求める」 --- 体重の標準偏差 ---> --- 点数リスト ---> 「標準偏差を求める」 --- 点数の標準偏差 ---> ではなくて、(「標準偏差を求める」はプロセスで両端はデータフローのつもり) --- 体重リスト ---> 「体重の標準偏差を求める」 --- 体重の標準偏差 ---> --- 点数リスト ---> 「点数の標準偏差を求める」 --- 点数の標準偏差 ---> のようにしろ、というような名前付けの問題ですか?それともそもそも こういう構造になってしまったことに問題があると見るべきでしょうか? -- 渡邊克宏