1998年までの分の記録もしくは日記


パートナーとカップル解消しました (1997/Jun/1)

パートナーシップを組んでみるのは初めての経験だったのですが、 残念ながらたった2ヶ月での解消となってしまいました。 相手にも申し訳ないです。


素敵なパートナー GET! しかし臨時だあ (1998/Mar/5)

通っているスタジオで同じ日にレッスンを受けている中年の女性がいました。 歳は私より上だと思うけど、踊っているときの柔らかな笑顔が華やかで、 踊りも何か「ふつーのおばさん」の踊りとは明らかに違うものがありました。 しかし、 どうも特定の相手がいたり、競技をやっている様子はありません。

ある日、世間話をしているうちに、彼女がふっと私にいいます。

「私がもう少し若かったらパートナーとして立候補するんだけどなあ」
まあ、よくあるお世辞の一種に違いありません。 しかし私は結構嬉しくて、しつこくこれを覚えていました。

そのうち、教室の先生方が所属する団体の競技会が近づいてきて、 「渡邊さんも、臨時でもだれかパートナー頼んで出ればー?」と声がかかるように なりました。例の彼女も、なにやら競技会のポスターを見て思案気です。 秘かにこれは彼女と出るしかないと思い、こっそり教室の先生に相談しました。

「そお、いいんじゃない? 彼女は先生とも結構軽々と踊ってるでしょ。 元モダンB級(のパートナー)だからー。」
んどひゃー!どおりで。 それ聞いちゃうと、 Novice 戦出てくださいなんてとても言えないですね...」
「大丈夫よ。ちょっと前まで練習相手だった人も Novice だったし。誘ってみなさいな。」
これが誘ってみるとあっさりOKがでて、 臨時に組むことが決まったのであります。

試合会場に行ったら、なんだかいろんな人が彼女のことを知っていて、 3年ぶりにフロアーに立つ彼女の新しいリーダーとして紹介されるたびに、 私はちょっとハズカシかった。 Novice 戦初挑戦で決勝に残ってD級(モダン)になりましたが、 彼女に負うところが多いんだろうなあ。 先生には「あら、優勝じゃなかったの?」とかいわれちゃうし、うぐう、えへへ。

ああでもこの partnership も、4月5日の試合までの話...


もう1試合出られた (1998/Apr/20)

先生から誘われた JCF 全宮城の試合のために1回だけ組むつもりで 申し込んだ partnership も、 事前の慣らしと練習を兼ねた Novice 戦(以前の記事)を追加し、 さらにはカップル解消ウチアゲと称して JBDF 全山形(4月19日)の D級モダンにも参戦するという発展を見せました。

山形の会場でも、彼女の顔を覚えていたいろんな人に声をかけられました。 決勝前の呼びだし時にすぐ後ろに並んでた選手なんかは、...

 後ろの選手 「なーんでD級戦に出てんの?ずっと上のクラスでしょ?」
 私のパートナ「うふふ。」
 私     「そりゃー私がD級だからですよ。(に決まってンじゃん)」
 後ろの選手 「さっさと上に行って、もうD級戦に出てこないでね!」
オチ:8人で決勝を戦った中で、 その選手は6位以内に入賞して即日C級昇級、 我々は入賞できずに取り残されてしまいました。

決勝から発表兼表彰式までの2時間もの間、 ドレスを着替えもせず(そのためまともに昼食もとれず)待っていたのに、 最後の6位のコールにも自分達の背番号が呼ばれず、 彼女はかなり〜がっかりしたかと思いきや、「楽しかった」とのたまいました。

この大会に向けて彼女は燃えていたようです。 短い partnership ではありましたが、 最後の試合ということもあったのでしょうか。 例えば、

比べるに、私の踊りは淡々としすぎていたかもしれません。 緊張で固まるよりも、 その方が結果に結び付きやすくてよかったという面があったにせよ。

なんとさらにもう1試合出られた (1998/May/12)

1試合だけのはずだったのに、どういうわけか4試合目に出ている私たち。 そもそもカップルが臨時のものとして始まった理由は、 私がすぐ東京へ引っ越すことになっていたからでした。 それがなければもっと長く続けたかったのです(そう彼女も言ってくれました)。 ともかく、その引越しが延びるたびに試合を重ね、 5月10日の JBDF 全宮城にも出場することができました。 しかし6月からは東京暮らしなので、今度こそ本当の最後になるに違いありません。

出られることが判明したときにはパートナーも喜んでくれるかと思ったら、

「でも、ちょっとフクザツよ。」
「え?なんで?」
「だって、山形の試合から帰った翌日に、ああ、これで終わりなんだなって 気持ちを整理したところだったんだもの。 メイク用品もしまって、ドレスも陰干しして 押入の奥の方にしまおうとしてたとこだし。」
再び気分を盛り上げるのは大変だったかもしれません。

山形で「これで最後だ!今回で解消だ!」と騒いでいたのに、 またノコノコと出てきたので、けげんな顔をする知り合いの選手たち... 結果の方はD級モダン準決勝止まりでしたが、 踊りの内容は二人とも満足のいくものだったと感じています。 ビデオカメラをレンタルして友達をカメラマンとして雇い、 踊りを撮ってもらったのですが、
dancing tango
よい記念になりそうです。

あれ?この文章書いてて気がついたけど、 もしかして JBDF の方では準決勝以上に2回入ったから、 年度末に昇級したりするのかなあ?(後日そんなことはないことが判明)


私たちは本当に解消したのだろうか? (1998/Jun/21)

東北地方の競技会は、倍額を払えば、試合当日に出場申し込みができます。

解消したはずのパートナーが、土曜日になって私に電話をかけてきていはく、
 「(明日の JBDF 全岩手に)行こうかなーと思ってるんですけどー?」
なあんてことに。踊りも何も準備してないぞ。

どうせ解消ずみなんだし、梅雨の晴れ間なのか天気も良いし、爽やかに 高速道路を飛ばして行楽気分の私は気がユルミまくり、着いた会場では
 パートナー 「D級戦はTFだと思うけど、いいですか?」
 私     「なんでもいいー。まあ、かかった曲で踊るさー。」
 私     「1次予選で切り上げて花巻温泉でも寄ろうかあ?」
などと不謹慎な態度に出る始末。ダンスの神様はきっとこれを聞いてたのでしょう。

ともかく1次予選が終わり、通過した組の一覧表へと向かって、 右サイドも鋭くランジの体勢で切り込む、が、番号がなあい! D級スタンダードは60組強しかいないので背番号が2桁なのだけど、 我々だけは当日申し込みのせいで3桁の「115」番で目立つはず。 しかし通過の表には3桁の番号など見当たらない。さすがにがっかりして、 すぐさまフォールアウェイの体勢でへろへろと後退していく私。

 私    「だめ。なかったあー。」
 パートナー「え!ないの?よく見た?」
 私    「だって3桁の番号なんてなかったよぉ。」
 パートナー「あらー。」
 私    「お疲れ様でした。やっぱ行楽気分ではだめなんだねえ。」

二人で水を飲みながら、2次予選の組がフロアーに出ていくのを うらやましく見送っていると、司会が読み上げていく番号の中に、何故か 「115」がある。ありゃっ?なんでや?出なきゃあ、と思う間もなく、 パートナーは水とタオルを傍らの観客指定席にぶち込んで(メーワク (-"-) ) 、 もうワタワタと走っている...イントロの後、なんとか2〜4小節遅れた 程度でタンゴを踊り出せました。

通過組の発表は番号順だったのですが、ヒート分けの関係で115だけ 例外的に途中に折り込まれてたのが間違った原因のようです。

踊り終わって観客に向かって礼をしたら、数人から拍手をいただいて しまいました。(まさか踊りが良かったのじゃないだろうなあ。) 嬉しいけど、あぁー、多分あなたたちは何か勘違いをなさってます。

ともかくこれで気合いが入ったか、決勝に残り、8人決勝5位まで昇級の ところ、ぎりぎり5位に入賞して、C級に滑り込みました。既に解消ずみの上、不謹慎ギャグまで飛ばしていた私たちに昇級を奪われた6位の組は、 かなりお気の毒。でもこれも勝負の世界の面白いとこか、な?

上機嫌のパートナーは、
 「1コケ、と思ったら入賞で、1粒で2度おいしかったわ。うふふふ。」
などと、一度に両方体験できた喜びを、チョー古いオヤジギャグ?にぶつけて ました。思えば組んだ頃はあまり冗談も言わない上品な奥様だったのに... ダンスの神様が聞いてたら、次回は1コケで終わらされるツッコミが 入れられるやんか。それに、あんまり寒いギャグ飛ばしてると、次の リーダーが見つからなくならんか、むちゃくちゃ心配やで。

私は引越先の東京では次のパートナー候補とお見合いまでしています。 そういう状況になってなお一緒に試合に出てるのって、 これはもう「腐れ縁」といっていいでしょう。 (ちなみに、旧パートナーと試合に出ることを候補のかたは了承していますし、 旧パートナーもお見合いしたことを知っています。)


新パートナーとのデビュー戦 (1998/Sep/6)

東京に出てきて最初に「お見合い」した方と、結局組むことになりました。

今日は上尾市で「全埼玉ダンス大会」があり、我々のデビュー戦となります。 私はこちらでは級を持っていないので、何に出るにしてもノービス戦からの 挑戦で、クラスは関東スタンダードN級です。 これは実は LACD の公式戦ではなく、DAK 関東ダンス連盟の試合です。 というのも、パートナーの方は LACD の「東部ブロックC級」で、 LACD の規定 上年末までは1クラス下のD級より上の選手としか LACD の公式戦に出場できないのです。 私は LACD 東部の選手資格を持っていないので、 当然一緒に試合に出ることはかないません。 仕方がないので、今年は LACD の公認でない試合に出つつ、 機を窺おうということになっているのです。

パートナーは約1年前にカップルを解消していたのですが、 届出が今年に入ってからになっていた関係で今年もC級を維持していることになり、 このような不遇に逢ってしまいました。 試合に出られないということがわかったのは、 2人で一緒に数回踊ってみた頃で、 「しばらく一緒に練習してみてもいいのでは」と 前向きに話が進んでいたときでもあり、 パートナーが受けた衝撃はただならぬものだったようです。 来年2月のノービス戦まで、約半年の辛抱です。

結果の方は、知り合いの絶大なる応援をとりつけ、優勝でした。 出場組数は15組と少なく、 また LACD のノービス戦に比べれば出場選手のレベルも下かもしれませんが、 それでもみなさん真剣に戦っていたはずで、 その中で1番をいただいたというのは誇らしいものです。 滅多にないことだと思うので、 トロフィーは記念になるようパートナーにプレゼントしておきました。 ただなあ、帰りにお好み焼きをおごらされたのは納得いかんぞ!


優勝癖 (1998/Sep/27)

前と別の団体のノービス戦に出て、また優勝しました。 2連勝です。優勝癖がついたのかなあ、うふふふ。 学連の若い方を含めて100組以上出ていて、6ラウンドを戦っての勝利でした。 調子にのらないよう気を引き締めつつも、 客観的に考えて(るつもり...)2連勝ってのはスゴイです。

パートナー「おごってくれないの?」
私    「なんでー。おかしいよー。こっちがおごってもらいたいよー。」
パートナー「えー?ふつー『パートナーのおかげで』っていうんじゃない?」
私    「じゃあ負けたときも『パートナーのおかげで』ってなるの?」
パートナー「そのときは『すみません僕のせいで』でしょー。」
私    「そんなのワリあわねーよ。」

結果は良かったのですが、 疲れているわけでもないのに決勝の踊りがこれまでになくひどく、 見ていたパートナーのお兄さんにも決勝が一番悪かったと感想をもらいました。 さすがのパートナーも、決勝の途中の私の荒れた踊りをフォローしきれず、 本当にどうしていいかわからなくてパニック状態になったそうです。 来年の公式戦に備え、 できるだけ多めにラウンドを重ねて経験を積んでおく必要があるのではないか、 とパートナーと話し合っています。


三度目の? (1998/Oct/25)

出られる試合はできるだけ出ようとしても、LACD の公式戦は出られないので、 どうしても地方まで出かけることになってしまいます。 今回は、JBDF 北関東の全群馬で、C級スタンダードに挑戦です。 列車で前橋についてからバスに20分ほど乗り、 そこから重い荷物を抱えたままさらに15分ぐらい歩いたので、 パートナーはその時点で既に疲れ切っていたようです。

1次予選が終わった途端、パートナーが頭が割れるように痛いと言い出し、 2次予選まで小1時間あるのでドレスを着替えて寝込んでしまいました。 主催者の医療班に申し出て頭痛薬をもらって飲んでもらったりしたのですが、 最後まであまり効果はなかったようです。 それでも結果は優勝、 使ったのは basic step のみだったのですが、 それでC級戦で優勝というのは価値があると思います。 これで3試合連続優勝で、パートナーは、「三度目も正直」とか言っておりました。

パートナーをぎりぎりまで寝かせていたので、2次予選が始まるときには、 準備にかなりあせることになりました。 遅いのを心配した先輩選手が呼びに来てくれたりする中で、 あわてて着替え、2次予選のフロアーへ走り込む状況です。 表彰式が終わって着替えようとしたときに気がついたのですが、 あわてていたためか、私はズボンのファスナーを締め忘れて全開のままでした。 バフバフに前が開いたまま5ラウンドも公然と踊って、表彰式に出た挙げ句、 優勝したのでダンスファン誌に写真を撮られてしまった...

(1998/Nov/4 再編集)


ほほえみカップ98 (1998/Nov/23)

ほほえみカップとは、 サークル「ほほえみ」が、首都圏のヤングダンスサークルから参加者を募って開く 競技会です。 300人ぐらい出るし、審査員は JBDF 東部総局長の植木盛司先生だし、 LACDの選手ぞろぞろ、時にはA級選手も出るし、 一つのサークルの主催とは思えないまともな競技会です。 パートナーを変えていろんな区分に出られたり、 カップ戦(一番上位の区分)の決勝で規定フィガーのソロ演技があったりするのも 面白いところです。

私が最初に出た競技会も、このほほえみカップでしたが、 その時既に今のパートナはカップ戦(一番上位の区分)のファイナルを 踊ってました。そんな人と組むようになるとはねえ... 普段は一緒に踊ってるパートナーが、 他の人とどう踊るのか見ることができる珍しい機会だったのですが、 やはり上手だと改めて感じました。誰と踊っても形が崩れないしなあ。

結果の方は、パートナーと一緒に出たカップ戦は、2次予選まで。 実は決勝の規定フィガーを事前に2回ぐらい踊ってみてたけど、 その甲斐なし。


新しい分の記録もしくは日記
Katsu Loves Ballroom Dancing